月曜日, 12月 04, 2006

タイヤのパンク事故

 先月末大阪堺市で、クレーン車のタイヤが停車中に破裂、その風圧で横に止まっていた乗用車の窓ガラスが吹き飛び、後部座席に乗っていた子供さんが大けがをした(多数のメディアが報道したが、Yahoo!で配信された毎日新聞の記事はここ)。

 このニュースを耳にした世のライダー諸兄の多くが、「もし隣に止まっていたのがバイクだったら・・・」と想像され、そして恐怖を感じられたことだろう。バイクに無知なベンリィマダムでさえ、そう想像して戦慄を覚えた。

 以前から、CL50に乗っている時に横にトラックなど大きな車がいると、そのタイヤのでかさにかなりびびっていた。本日、我が夫Dr.運送屋と2ケツして色々と買い物しに行ったのだが、トラックの近くを通過する時、やはりかなり怖かった。いたずらに怖がっても全く意味が無いとはわかっているものの、あのニュースが頭の中をぐるぐる回って消えないのだ。

 運転中なら細心の注意を払うことである程度事故は防げるだろう。でも、停車中に横のトラックのタイヤが突然破裂したら、もうどうしようもない。吹っ飛ばされたら、どんなにごっつい服で全身をガードしていても、負傷は必至だ。否、けがで済んだらまだましだ。そしてもし万が一、我が夫が吹っ飛ばされて重傷を負ったら、残されたわたしはどうしたら良いのか。如何なる理由があろうとも、当然許せるはずはない。

 その後、けがしたお子さんはどうなったのだろうか。後遺症などが残らないよう、祈るばかりである。
 そして、タイヤが破裂してライダーが吹っ飛ぶという事故も、絶対に起こりませんように。合掌。

月曜日, 11月 13, 2006

世界最古の(?)バイク映画

 わたくしことベンリィマダムは映画が結構好きであることを、賢明な読者諸氏はすでにお気づきのことだろう。このようなサイトを開設しているため、バイクが出てくる映画にも特に関心を寄せているつもりだが、網羅的に鑑賞することは大変困難だ。

 先日、偶然にも古いバイクの映画の広告を目にした。その名も『ハリケーン・ハッチ』。制作は1921年とあるから、かなり古い映画だ。

 G.サイツ監督の作品だが、この頃彼ははサスペンスやアクションものなどの連続活劇を連発していた。パール・ホワイトなんて女優さんが出てたシリーズは、大変人気を博したと聞いている。

 「THE TRILL-A-MINUTE STUNT KING」と紹介されているチャールズ・ハッチソン。ネクタイを締めて「離れ業 stunt」を繰り広げる彼は、現在のスタントマンの源流なのかもしれない。

 その後、ハリケーン・ハッチは日本の子供向けの雑誌にも数多く登場している。

 見たい。見てみたい。もしかしたら世界で初めてのバイク映画かもしれないこの映画、今のところ見られる方法はわからない。大変残念である。
 

月曜日, 10月 30, 2006

独裁タンデム

 本日、急に寿司を食べたくなったわたくしことベンリィマダムとDr.運送屋は、回る高級寿司『長次郎』へ行った。

 ここのところすっかり寒くなった。VTR250に2ケツして行ったのだが、帰りは特に風が冷たかった。腹がふくれてしんどいから早く帰って寝たい、と思っていた丁度その時、信号待ちのためバイクを停止させたDr.運送屋が振り返って言った。

運送屋:「途中、本屋に寄ってもええか?」
わたし:「だめって言うても行くやろ?」
運送屋:「そうや」

(しばしの沈黙)

二人で:「あは、ははは、あはははは」

 2ケツさせていただいていると、このような状況によく遭遇する。同乗者に対し同意を求める等、一応の気配りをみせてくださるDr.運送屋だが、わたしが首を横に振っても、以降のルート選択に及ぼす影響は全く無い。ま、2ケツさせていただいているので、当然なのだろう。

 わたしは、一度決めたルートは絶対に変更しないたちである。Dr.運送屋とは全く逆だ。けれども、不思議と衝突は少ない。性格上、寄り道ということができないわたしにとって、独裁タンデムは結構楽しいことなのかもしれない、と思うのであった。

火曜日, 10月 10, 2006

CL50最大の危機

 わたくしことベンリィマダムがCL50「わしのベンリィ」号を入手したのは2003年10月のこと。このマシーン(爆)を乗りこなすための血もにじむような努力の日々については、ベンリィ家庭裁判所の開かずの部屋「ベンリィ道場」に詳しい。

 なんとか操作を覚えた後、1年半程度はほぼ毎日乗っていた。といっても、出勤のために駅まで、とか、ちょっとそこまで買い物、といった程度だった。その後、バイク出勤禁止のカイシャに就職しちゃったせいもあり、最近はほとんど乗ることが無くなっていた。「おまいのCL、たまにはエンジンかけてやらなあかんな」とか何とかいいつつ、夫Dr.運送屋がたまに乗る(否、乗っていただく)程度で、ほぼほったらかしの状態だった。

 今日ベンリィマダムは職場に一人残り残業していた。そこに、Dr.運送屋からのメールが届いた。彼は今日も朝CL50で出かけていったのだが、CL50「わしのベンリィ号」の驚くべき秘密を知ってしまったのだ、と言う。以下、運送屋メールを引用したい。

-------引用ここから--------------
最後に、ベンリィですがパンク修理しました。チューブが裂けていました。耐用年数が来たからだということです。で、帰り際のバイク屋との会話を以下に書くと、

バイク屋「お客さん、あのバイク中古で買ったんですか?」
私「はい。そうですが」(引用者注:買ったのは、わしだ)
バ「あのバイク、色んな部品がないまま強引に組み立ててるんで、気を付けて下さいね」
私「え!?」
バ「純正部品じゃない部品が取り付けられていたり、あるべきパーツがないんですよ」
私「………」
バ「純正部品を付けるにしても、パーツがたくさんあるんで時間かかりまっせ?」
私「………」

とりあえず、後輪あたりの部品の欠品が多いみたいなので、乗らない方がいいとのことでした。今まで、何も知らずに乗っていたのを考えると恐ろしいです。

---------引用おわり-------------

 確かに「わしのベンリィ号」は夫の年下の友人から破格の格安で譲ってもらったものだ。その友人はちょっと「ユルい」人で、わたしの家までCLを運んでおろすときに、マフラーが盗まれていることに気付き、後日Dr.運送屋が改めてマフラー部分を入手してくれたのだった。そのくらい「ユルい」人だから、「わしのベンリィ号」の体に起こっていた異変にも気がつかなかったに違いない。

 しかも次のライダーがわしと来た。バイクのことなんかわかるわけないし。乗っててほとんど支障はなかったし。

 知らぬが仏とはこのことである。

 さて、どうしたものでしょう。とりあえず、しばらく時間ができそうにないので、ほったらかしにしておくしか方法はなさそうだ。その間に、Dr.運送屋と「わしのベンリィ号」の問題を討論したいと思う。


 

日曜日, 10月 08, 2006

夢の涯てまでも

 先日、夢を見た。CL50に乗っているわたしと、CD125Tに乗っているDr.運送屋が、公道で競争するというものだ。

 よーい、ドンで発進した直後、わたしは1速から2速に入れようとしたのだが、うまく入れず、Dr.運送屋に遅れをとってしまった。なんとか2速に入れ直し、Dr.運送屋に追いつこうと2速のままアクセルをぐいーっと捻り、加速を試みたのだが、当然この状態ではあまりスピードが出ない。で、「60キロしか出ないよー(涙」と、大変悲しく思ったところで目が覚めた。

 以前、同業者がこんな事を言っていた。

 「この業界の仕事は、原付でずっと100キロ出して走るようなもんだから」

 わたしが見た夢は、こういう事だったのかなぁ、と思うのであった。

 温泉にでも行きたいなぁ・・・。

日曜日, 10月 01, 2006

はじめての高速2ケツ

 昨日、「四十歳の童貞男」を見に岸和田まで行ってきた。 この映画は、関西では岸和田の映画館でしか上映されない。しかもレイト・ショーしかない。岸和田は、我が家からかなり遠い。加えて、わが夫Dr.運送屋は今年晴れてバイク免許取得3年目を迎えた(詳しくはこちら)。したがって、ごく自然な成り行きとして、高速道路を利用することと相成った。

 わたくしことベンリィマダムにとって、バイクでの高速道路走行は生まれて初めての経験だ。いざ走行するとなると、なんだかとても怖くなってきた。まずは服装からきちんとしようと考え、皮ジャンでしっかり上半身を防護し、くつもはき慣れた皮のスニーカーを選択し、ここ最近ずっと倦厭していたグローブも装着した。皮ジャンを着てバイクに乗るのは初めてだ。鏡をみたら、なんだか上半身が『北斗の拳』みたいにごつくなり、顔と上半身が全く別の人間みたいで、少々気味が悪くなった。このことが、わたしの不安をさらに増長させたことはいうまでもなかろう。以前せっかくタンデム・ベルトをDr.運送屋に買っていただいたのに、この時はすっかりその存在を忘れていた。このことは、後に大変な後悔の念を生むこととなる。

 このたびのルートは、長柄から阪神高速に乗り、助松から湾岸線に出て岸和田まで行くコースに決められた。自宅を出てしばらくは見慣れた道を通り、いよいよ高速道路の入り口が見えてきた。料金はわたしが皮ジャンのポケットにしまい、料金所で渡す手はずになっていた。いざお金を取り出そうとしたら、なかなか出てこない。グローブしているし、皮ジャンは身動きが取りにくい。あゎあゎと焦りつつも、なんとかつつがなく料金の支払いを終えた。

 料金所を越えると、鬼のようなカーブが連続していた。しかも、高速道路だから、スピードが大変速い。ひぃぃぃぃっ、びぇぇぇぇっと心の中で絶叫しつつ、恐怖と戦った。前からくる風がとてつもなく強い。前に居るDr.運送屋の体の影になっている所は比較的風圧の影響が少ないのだが、彼からはみ出してしまう腕とか膝下の部分にまともに風があたり、あおられそうになる。タンデム・ベルトを装着しなかったことが悔やまれてならなかったが、今更どうしようもない。Dr.運送屋のハラとベルトの間の溝状の部分に手をしっかりと潜り込ませ、必至で耐えた。

 そのうち、前からの風に加え横風が大変強くなってきた。さらに、風の音がものすごくでかくて、恐怖感を必要以上にかりたてる。途中、Dr.運送屋が片手で景色を指さし、後ろに少し振り返って「夜景!」と叫んだ。このときは「前向いてくれぇぇぇ!」というだけで精一杯で、景色を楽しむ余裕などなかった。でも湾岸線に入るころになると、次第になれてきたようで、不思議な工場の夜景群を『ブレード・ランナー』に出てきそうな景色だ、などど鑑賞するゆとりも生まれてきた。

 そんなこんなで、岸和田に到着した時は、すでにへろへろの状態になっていた。しかし、『四十歳の童貞男』は大変楽しかったし、帰りは堺のてんぷら屋「大吉」でおいしい天ぷらも食べ、大変満足して帰路についた(帰りは下道)。

 三十路を過ぎての高速2ケツデビューは、怖かったけれど大変楽しい思い出となった。人生まだまだ楽しいことが残っているのだな、と感じた一日であった。

木曜日, 8月 31, 2006

ベンリィ的道東指南3 湿原スポット

 湿原。それはびしゃびしゃの草原。釧路の西の方には、少し前まで「原野」という地名がありました。さすがに今は改名されましたが。

 湿原と言えば釧路湿原展望台。でも、ここからほんの少し先にある北斗展望台でも同じような景色がタダ堪能できるから不思議です。阿寒とか川湯に行く途中に湿原をみるなら、これらの展望台の方が近いと思います。釧路湿原展望台の遊歩道は、湿原というより森の中です。全部歩くと筋肉痛が大変です。時間をもてあましていて体力をつけたい人にはお勧めです。どうしても歩くなら、短いコースをさくさく回るだけでいいと思います。

 でも、中標津とかに行くなら、釧路町の細岡展望台の方がいいです。人が割りと少ないです。夕日の時間にあわせていくといいと思います。

 塘路湖や茅沼あたりにはキャンプ場とか宿泊施設もあります。茅沼には温泉もありますよ。時間があるなら近くにコッタロ湿原もあるので、そちらもどうぞ。コッタロ湿原と釧路湿原は同じようなモンですが、コッタロの方がわたしは好きです。

 湿原の中を流れる釧路川はカヌーで下れます。カヌーのリバー・ツーリングをやっている店もあるようです。運がよければキタキツネとかタンチョウとかを見ることができます。その昔、五十石というところで野営した時は野生の馬多数に囲まれて恐怖の夜を過ごしました。テントを張るときは、やはりキャンプ場の方が絶対よいと思います。

ベンリィ的道東指南2 国後島スポット

 道東の港町に来たら、可愛いアザラシのイラストの看板に「返せ!北方領土」と書いてあって驚いたライダー諸兄も多いでしょう。道東といえば北方領土。北方領土と言えば根室の納沙布岬。

 しかし納沙布岬のよくない所は、あんまり晴れないこと。せっかく行っても北方領土が全然見えないことはしょっちゅうあります。

 納沙布岬に行ったけど北方領土を見られなかった諸兄、まだあきらめるのは早いです。国後島だけなら他の所からもよく見えます。
 
 納沙布岬から近い所では野付半島。ヘンな形をした半島です。ここからは国後がかなり近くで見られるので、多少天気が悪くても、少しは島影を確認できることでしょう。野付には、トドワラという、トドマツの群生が枯木になったやつがあります。野付で残念ながら国後を見られなくても、トドワラを見て、ネイチャーセンターで名物シマエビでも食べてください。トドワラのトドマツの枯木の数は、確実に減ってます。小学6年生の時に初めて行った時は感動するくらいたくさんありました。今回行ったら全然ありませんでした。

 野付がだめなら、中標津あたりで一泊して、次の日羅臼の方に行ってみましょう。335号線から左に、でっかく国後が見えます。

 まあ夏の道東は総じて晴れの日が少ないです。「ガス」とか「じり」とか、いろんな言い方がありますが、小雨と霧の間みたいなやつが降ることが多いです。「それもまた一興だ」と、どうぞ大目にみてやってください。

ベンリィ的道東指南1 回転すしのまつりや

 こんにちは、ベンリィマダム@道東です。久しぶりに北海道の道東地方を巡ってきたので、備忘録的に観光スポットなどを記してみようと思います。第1回目はすし。

 北海道と言えばおいしいサカナ。サカナといえばすし。すしといえば回るやつ。

 道東を旅したライダー諸兄の多くは釧路の和商市場の勝手丼を食べたことでしょう。勝手丼。昔はありませんでした。貧乏ライダーを見るに見かねたサカナ屋さんが、サカナの切り身をわけてご飯の上にかけてあげたことが勝手丼のはじまりと言われています。ライダーの皆さんが作ってくれた名物ですね。市場の中だから新鮮なものを食べられます。でも落ち着けません。カニアレルギーのベンリィマダムにとって、市場はちょっと怖いところなのです。

 釧路はサカナがおいしいけれど、お寿司は高い。最近は回転寿司屋も結構できてるみたいです。
 そこでおすすめしたいのが「まつりや」。本店は根室だと聞いています。釧路市内には2店舗ありますが、マダムは釧路駅裏の新橋店にしか行ったことがありません。

 ここのページに詳しい紹介があります。
 http://www7.plala.or.jp/pira/kushiro/kushiro/tabe1.html

 写真の通り、ネタがでかいです。回転寿司だから寿司がベルトに乗せられて流れていますが、中に数名の板前さんがいて、常時注文を受けつけ、その場でにぎってくれます。流れている寿司を「見本」にして、食べたいものをがんがん板前さんに注文してください。快くつくってくれます。なお、イカのゲソの唐揚げを注文するとき、「ゲソざんぎちょうだい」と言えば道産子気分に浸れます。8月中旬以降なら、生のサンマをどうぞ。初秋の港町でしか食べられないものですよ。

土曜日, 8月 26, 2006

妻をたずねて三千里 Returns その3

(左図)Dr.運送屋の移動の概要 8月26日

 朝、予定よりも1時間早い5時頃宿を経ったDr.運送屋。一路釧路市に向かって快晴の北海道を走っていた。「なんまらしんどいらしいで」とベンリィマダムから散々おどかされていた日勝峠も難なく走破、8時半の電話はなんともう芽室まで来ているとのことだった。この時マダムは「芽室」を「根室」と聞き間違え、「通り過ぎたんでないの?」と思ったが、メムロだったので一安心。道東は昨年にひきつづき今年も暑い日が続いていた。2日ぶりにみた我が夫は、ちょっとだけ日焼けしていて、ちょっとだけ爽やかだった。

 印象に残ったことをたずねた所、「北海道は時速60キロで走っていたら、本当に1時間に60キロ進む」ということでしたよ。

金曜日, 8月 25, 2006

妻をたずねて三千里 Returns その2


(左図)Dr.運送屋の移動の概要 8月25日

 午後4時過ぎにDr.運送屋のケータイから電話が入った。竜飛岬付近にくると電波が届くらしい。その後夜8時頃にもう一度電話。下船時は自動車が先に降りバイクは後回しだとのこと。そして10時過ぎにまたまた電話。今夜泊まる宿は苫小牧の港から地図を見たら結構近かったけれど、北海道の地図は縮尺が内地と違うので、実際は想像してたよりも少し遠かったようだ。

 その後無事に宿についたDr.運送屋。チャリダー2名と少しだけ酒盛りをし、ライダーハウスの楽しい思い出を作れたようである。一安心だ。

木曜日, 8月 24, 2006

妻をたずねて三千里Returns その1

(左図)Dr.運送屋の移動の概要 8月24日

 念願だった北海道ツーリングへと旅だったわが夫Dr.運送屋。本日夕方自宅を出発、一路敦賀港へ向けて旅立った。琵琶湖のほとりの道路はどうも事故が多い印象が強くちょっと心配だったけれど、さきほど無事に敦賀へ着いたとの連絡があり、ほっとしましたよ。

 ひっさしぶりのツーリング、しかも北海道ということもあり、Dr.運送屋は昨晩まるで少年の如くうきうきしながら支度をしておりました。CD125Tで走るのはちょっとしんどいだろうなぁ、でもベンリィで走りたいからなぁ、と、何度も申しておりました。CD125Tをぴっかぴかに磨いて、タイヤも変えて、なんか知らないけどいろいろな部品を交換して、いつになく丁寧に整備をしておりました。三十路をとうにすぎたオヤジではありますが、なんとも微笑ましく思いましたね。

 わたしは明日ヒコーキで一足早く北海道入りします。無事に再会できるのでしょうか?ま、再会できなきゃ悲劇になるわけですが(爆。安全運転で元気に走っていただきたいものです。
地図は「白い地図工房」さんからダウンロードさせていただきました。
http://page.freett.com/rukuruku/

月曜日, 8月 14, 2006

上海報告アップ

 みなさんこんにちは、ベンリィマダム@上海です。
 早速ではございますが、こりもせずまた報告書などを作成しています。
 よろしければこちらへどうぞ。

 http://f56.aaa.livedoor.jp/~benly/shanghai/shanghai.html

 せっかくブログがあるから、こっちのほうですればよかったと後悔しています。思いついた時にたまたまこっちのネットの調子が悪く、bloggerに接続できなかったのを、「bloggerまでも規制されて接続できないのか!」と早とちりしたのでありました。

 8月中には報告書を完成させるつもりです。

 ではみなさんごきげんよう。

 

土曜日, 7月 22, 2006

鍵はいずこへ

 ブログを4ヶ月以上もほったらかしにしていました。ブログなら簡単に更新できると思ったのですが、そうもいきません。どうにも時間がとれず、最近はブログ更新どころではありませんでした。晩ご飯の準備までDr.運送屋に任せっきりの生活です。すまん、と思いつつ、でもこれが大変うまくて、やめられません。ますます料理をやらなさそうな雰囲気です。

 仕事は好きですが、仕事場だけじゃなくて家に持ち込まなきゃいけないことが多いのです。あまり息抜きもできません。我が家は夫婦が微妙に同業者ということもあり、家で仕事の話をすることも多いので、たまにちょっとだけしんどいこともあります。プチ・ツーリングにさえ行く時間を作れず、かなり悶々とした日々を送っていたのです。

 そして、今年は梅雨がなんか長い。大雨や崖崩れで被害もたくさん出ています。でもたまに晴れ間が出ると、わしのベンリィ号に乗ってみたいなあと思うこともありましたよ。今日は晴れでしたから、特にそう思いました。

 しかし、困ったことがあるのです。わたしは、CL50わしのベンリィ号の鍵がどこにあるのか、わかりません。Dr.運送屋が保管場所を指南してくれたのですが、そこにはバイクの鍵がたくさんあるので、どれがわしのベンリィ号のやつか、わからないのです・・・。

 情けない。非常に情けない。かつて頻繁に乗ってホームページの駄文を更新していた、あの頃の情熱は何処へ行ってしまったのでしょうか。

 かつてわたしはベンリィ家庭裁判所の判例で「バイク解体屋追放協力要請事件」という判例を記しましたが、今じゃわしのベンリィ号こそがそのターゲットです。今日など、解体屋のチラシ(輪ゴムでミラーとかに引っかけるやつ)が2つも引っかけられていました。ま、そのうち1つはDr.運送屋が自分のバイクからわしのベンリィ号へ移管したものだとすぐに察しはついたのですが。

 わたしの華麗な(はず)のCL50ライフは、どうやら鍵を認識するところからやり直しのようです。

日曜日, 3月 05, 2006

アーメン ラーメン 秀一ラーメン

 今回は、涙無しでは語ることができないベンリィマダムの感動秘話を紹介しようと思う。長い話で恐縮だが、ありがたい話でもある。

 バイクに乗っている人は、たいていラーメンが好きだ。試しに検索語「バイク ラーメン」でググってみると、実に378万件ものサイトがヒットする。中には全然関係ないものもあろうが、バイク乗りはラーメン好きとの仮説を裏付けるに十分な実験だと思う。

 そもそも、わたしはそれほどラーメンが好きではなかったし、食べたい衝動に駆られる事もほぼ皆無だった。そんなわたしがラーメン好きとなったのは、バイク乗りであるわが夫Dr.運送屋の教育によるものだ。わたしたちの記念すべき初デートの食事は、京都の新福菜館だった。思えばこれが、Dr.運送屋の教育の始まりだったのだ。いまでは、ことラーメンにかんしては、汗かきふーふー言いながら食べられなければ満足がいかない、硬派で極右的なうるさ型ラーメン好き人間になってしまっていたのである。

 先日、晩ご飯の食材を求めてスーパーへ行った、わたくしことベンリィマダムとわが夫Dr.運送屋は、レジ前の雑誌コーナーで何気なくラーメン紹介の雑誌を手にした。めくるめくこてこてラーメンの写真をみていると、もうラーメンが食べたくて食べたくて、いてもたってもいられず、急遽ラーメンを食べることにした。

 その晩赴いたのは、立ち読みしたラーメン紹介誌に掲載されていた、コンソメラーメンなるものが売りの、カフェ風のラーメン屋だった。結果、コンソメなんだかパスタなんだかよくわからないものが出てきた。「これはラーメンではない」と思えば納得がいくのだろうが、「ラーメン食べたい」という強いわたしたちの衝動を満たすものでは全くなかったのである。まずいとは言いません。でも何か中途半端でしっくり来なかったというのが正直な所だった。だいたい、小綺麗なカフェ風のラーメン屋とはなにごとだ。ラーメン屋のテーブルは、ちょっと油っぽくてぬるぬるしてるものでしょう。テーブルに置くのは、紙ナプキンじゃなくって、ティッシュでしょう。

 ところが、である。当該ラーメン屋の口コミをネットで見ると、「女性を意識した…」「女性に人気の…」との言葉のオン・パレードなのである。「そんな味が理解できないおまえはおっさんや」と言われているようなものだ。さらに、「もし今死んだら、おまえの人生最後のラーメンはコンソメラーメンやなぁ」という、わが夫Dr.運送屋の追い打ちをかけるような冷たい指摘により、わたしの心は傷つき、悲しい日々を送っていた。

 そんな寂しげなわたしの背中を見るに見かねたのか、Dr.運送屋は本日、「おいしいラーメン喰いにいこけ」と、小雪がちらつく中わたしを外へ引きずり出した。目的地は、吹田警察署横にある「秀一ラーメン」だ。
 
 秀一ラーメンは素晴らしかった。にぼしのだしで、めちゃめちゃうまかった。紙ナプキンではなく、ちゃんとティッシュが置いてあった。感動した。

 汗と感涙にむせびながら麺をすすっていたその時、ふと店のメニューの表紙が映った。そこには何故か、ヨハネ書3章16節のフレーズ、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」云々が書かれていた。

 それを見た瞬間、マダムは「アーメン ラーメン 秀一ラーメン」という啓示を受けた。そして目の前には、まるで天使のように真っ白な白衣を纏った秀一ラーメンの店主さんの微笑みがあった。

 春先の雪の日に起こった、大変スピリチュアルな体験だった。こんな体験をすると、Dr.運送屋がついにCBR1100XXを売っぱらって2千キロしか走っていないVTR250を購入した事も、なんだか許せてしまうのだから、大変不思議なのであった・・・(怒。
 

火曜日, 2月 28, 2006

革ジャン夫婦

 ベンリィマダムは、何故かSchott Perfectoのダブルライダース・ジャケットを持っている。大学のサークルで代々受け継がれてきたぼろい革ジャンで、「免許とる!」と豪語したわたしの手元に渡ってきたものだ。 それから数年、まだ免許を取得していないわたしなのだが、今の所他のメンバーから文句はない。というのも、当該革ジャンのサイズが36インチであり、後輩も含めてそれを着用可能な体型の人間は、わたししかいないからだ。

 今では持ち主のわたしでさえ、押入の「冬物」段ボールに詰め込まれたそのSchottの存在を忘れていた。けれども、わが夫Dr.運送屋は忘れていなかったようだ。

 本日外出しようとしたDr.運送屋を目にしたマダムは驚愕した。彼はなんと、Schottのダブルライダース・ジャケットを着ているではないか。「おそろいやで」とほほえむ彼を見つつ、わたしは動揺を隠せなかった。最近彼が始めたダイエット作戦が、こんなにも早く成功をおさめたのか?

 否。答えは「ネットオークションで落札」だった。

 夫婦そろってSchottの革ジャンを着込みCD125Tでツーリング、などという姿は、うまくいけばおしゃれで素敵な「革ジャン夫婦」を演出できるかもしれない。ただ、気を付けないと「輩 やから」と紙一重な感も否めない。

 ともかく、わたしの風邪が治って暖かくなれば、「革ジャン夫婦」の練習など、してみたいと考えている。
 

金曜日, 2月 17, 2006

減肥の気分

 先日、バイクショップへ行った時の話をしようと思う。
 わが夫Dr.運送屋は、そろそろフルフェイスのヘルメットを購入しようと思い、ヘルメット売り場へと赴いた。

 夫Dr.運送屋は、現在愛用中のAraiのジェッペルをたいそう気に入っている。そして、「Araiはわしの頭にぴったりフィットするんや」といいながら、AraiのXLのフルフェイス型ヘルメットを試着した。

 結果、入らなかった。

 SHOEIのXLを試着すると、なんとか入ったのだが、顔部が「アmパmマn」みたいになる。

 思うに、夫が人生何度目かのダイエットを決心したのは、この瞬間だったように思う。その後彼は、某巨大掲示板の「デブライダー」なるスレッドを熱心に閲読し、体型にまつわるデブライダー諸兄の逸話に微笑み、共感し、そして自戒していたのだった。

 そしてそれから約半月後の現在、驚くべきことに、このダイエットは続いている。ダイエットといっても、絶食とか運動とかをしているのではなく、食事の内容を変えて、野菜を多くしたり、毎食納豆を食べたり、というものだ。体重も、若干減少しているようだ。

 春までに、多少はスレンダーなベンリィ乗りとしてのBODYをお披露目できる事を祈ろう。

月曜日, 2月 06, 2006

素手バイク

 それは、先日タンデムグリップつきウェスト・バッグを購入した帰りの出来事だった。

 すでに日が沈み、あたりは寒々としている。そしてプチ渋滞のR171。
 ベンリィマダムとDr.運送屋がまたがったCD125Tの横を、スズキの隼がすり抜けていった。
 その隼の主は、白い革ジャン、黒の革パン姿。フルフェイスのヘルメットだったので、顔や髪の毛は見えないものの、白革ジャンのウェストのくびれが尋常ではないので、間違いなく女性ライダーだ。
 
 彼女の出で立ちに、一瞬マギー司郎を連想してしまったのだが、華奢な体つきなのにクールな服装で、ちょっとかっこよかった。

 けれど、どこかに違和感を覚えた。どこがおかしいのだろう。

 その時、Dr.運送屋が、かのライダーを指さして「おかしいんじゃねぇの」と宣った。そしてわたしの違和感の所以もはっきりした。

 彼女はこのクソ寒いのに素手だったのだ・・・。

 若くて体温をもてあましているのか、それとも手袋をしているように見えないマジックをかけているのか、今となっては知る術もない。

月曜日, 1月 23, 2006

高速道路の2ケツ

 若い頃はクルマ一筋だったわが夫Dr.運送屋がバイクに目覚めたのは、最近の事である。先日、彼が二輪免許を取得してから、晴れて3年が経過した。 2005年4月以降、二輪免許取得から3年というのは、大きな意味を持つようになった。読者諸氏もよくご存知の通り、高速道路における自動二輪車の二人乗 りが解禁になったからだ。

 高速2ケツが可能となれば、あちこち日帰りでツーリングに行けるぞ、と、ほくそ笑んでいたわたしたちなのだが、高速2ケツを遂行するためには、準備する事が結構あるのだ。

 警察庁交通局のHPに、高速での2ケツについて、注意が掲載さ れてあった。「二人乗りは一人乗りと違う」「一人乗りの技術習熟が必要」「同乗者への配慮」など、あたりまえの事が書かれてあるのだが、あたりまえの事こ そ、最も大切なのだろう。特に、「同乗者への配慮」というのは、わが家の場合、夫婦の愛情のモノサシとなるものだ。Dr.運送屋には、ベンリィマダムをこ れまで以上に気遣っていただきたいものである。

 夫に気遣ってもらうだけでは無責任なので、同乗者であるわたしも、具体的な意見を進言させていただきたいと思う。

 1. ブラックバードに載っけてもらう時、手ぇがしんどい。わたしは片手をDr.運送屋のハラ、もう片方の手を後のつかめるようになっている部分(「ぐらぶばー」っていうのか?)へ固定するのだが、むちゃくちゃつかれる。だからこれが欲しい。

 タンデムベルト http://www.webike.net/cg/11060/32609301/

 2. 2ケツしている時に話すのは、正直しんどい。ずっと声を張り上げるのは疲れるし、ノドにもわるい。だからこれが欲しい。

 無線機 http://www.webike.net/sd/317115/300031403141/

 3. 60リットルのザックを背負ってツーリングに行くのは、体力的にしんどい。「夜逃げだと勘違いされるかもしれない」との精神的不安も解消したい。だからこれが欲しい。

 シートバック http://www.webike.net/sd/1064541/326031233125/

 今年度のわが家の繁忙期も過ぎた事だし、快適な2ケツ生活に向けて、そろそろ準備をしていきたいものである。
 

水曜日, 1月 18, 2006

野営と独身の味:マルタイ棒ラーメン

 ベンリィマダムの野営生活は今年で14年目を迎えたが、この間ずっとお世話になっているのが、「マルタイ」の棒ラーメン。食事としてではなく、野外酒宴の後、小腹を満たす為に食すのが通。

 数あるインスタント・ラーメンの中からマルタイの棒ラーメンが選ばれるのは、何と言ってもそのコンパクトさ。コッヘルで調理が可能な所も魅力。最近はいろんな味があるので、選ぶのも楽しい。

  わが夫Dr.運送屋は、昨年末から長期出張でわが家を留守にしている。その間、学生時代のぐうたらな生活へと回帰し、ぐうたらぶりを堪能していたわた しは、3日に1度は棒ラーメンのお世話になっていた。いつもは星空のもとで食べる棒ラーメンなので、家で食すその味に、不思議さと懐かしさを感じたのだっ た。
 

水曜日, 1月 11, 2006

暖気の季節

 CD125TもCL50も、この季節は暖気に時間がかかる。時間がかかると言っても、たかだか数分なのだが、寒いとその数分が非常に長く感じられる。

  わたくしことベンリィマダムとわが夫Dr.運送屋は12月末のある日、年末の買い出しへと赴いた。いつもの如く、CD125Tに2ケツである。時間も無 かったし、十分 な暖気を行わなかったのだが、そのせいだろうか、発車してすぐにエンジンが止まってしまった。いくらわたしたちが「いらち」だとは言え、最低限の暖気はす べきなのだった。

 ところがである。Dr.運送屋が何度キーを回しても、エンジンはかからない。キックしてもかからない。うへー、年末の この忙しい時に故障かーっ?と思っ たのも束の間、Dr.運送屋は、何かを悟ったかの如く照れ笑いをしながら、「キルスイッチ」を切っていた事を告白したのだった。CD125Tの「キルス イッチ」は、右ハンドルの付け根にあるのだが、ヤママルトのハンドルカバーを装着している冬仕様だと、「キルスイッチ」が見えないのだった。

 なお、わたしが「キルスイッチ」を「切るスイッチ」と思いこんでいたにもかかわらず、この時の夫婦の会話には全く問題が無かったことを、一言申し添えておく。

  ところで、Dr.運送屋はこの1件以降、重要な任務に就くため長期出張に行ってしまった。故に、我が家の初乗りはまだ行えない。今朝Dr.運送屋に送る ものを出しに行った帰り、ふと駐輪場を見た。わが家のバイク3台はずっと放置の状態で、いつのまにか「バイク無料引き取り」のチラシをつけられてしまって いた。
 
 CD125Tの初乗りの際、エンジンがきちんとかかってくれたらよいなと思う。