火曜日, 10月 10, 2006

CL50最大の危機

 わたくしことベンリィマダムがCL50「わしのベンリィ」号を入手したのは2003年10月のこと。このマシーン(爆)を乗りこなすための血もにじむような努力の日々については、ベンリィ家庭裁判所の開かずの部屋「ベンリィ道場」に詳しい。

 なんとか操作を覚えた後、1年半程度はほぼ毎日乗っていた。といっても、出勤のために駅まで、とか、ちょっとそこまで買い物、といった程度だった。その後、バイク出勤禁止のカイシャに就職しちゃったせいもあり、最近はほとんど乗ることが無くなっていた。「おまいのCL、たまにはエンジンかけてやらなあかんな」とか何とかいいつつ、夫Dr.運送屋がたまに乗る(否、乗っていただく)程度で、ほぼほったらかしの状態だった。

 今日ベンリィマダムは職場に一人残り残業していた。そこに、Dr.運送屋からのメールが届いた。彼は今日も朝CL50で出かけていったのだが、CL50「わしのベンリィ号」の驚くべき秘密を知ってしまったのだ、と言う。以下、運送屋メールを引用したい。

-------引用ここから--------------
最後に、ベンリィですがパンク修理しました。チューブが裂けていました。耐用年数が来たからだということです。で、帰り際のバイク屋との会話を以下に書くと、

バイク屋「お客さん、あのバイク中古で買ったんですか?」
私「はい。そうですが」(引用者注:買ったのは、わしだ)
バ「あのバイク、色んな部品がないまま強引に組み立ててるんで、気を付けて下さいね」
私「え!?」
バ「純正部品じゃない部品が取り付けられていたり、あるべきパーツがないんですよ」
私「………」
バ「純正部品を付けるにしても、パーツがたくさんあるんで時間かかりまっせ?」
私「………」

とりあえず、後輪あたりの部品の欠品が多いみたいなので、乗らない方がいいとのことでした。今まで、何も知らずに乗っていたのを考えると恐ろしいです。

---------引用おわり-------------

 確かに「わしのベンリィ号」は夫の年下の友人から破格の格安で譲ってもらったものだ。その友人はちょっと「ユルい」人で、わたしの家までCLを運んでおろすときに、マフラーが盗まれていることに気付き、後日Dr.運送屋が改めてマフラー部分を入手してくれたのだった。そのくらい「ユルい」人だから、「わしのベンリィ号」の体に起こっていた異変にも気がつかなかったに違いない。

 しかも次のライダーがわしと来た。バイクのことなんかわかるわけないし。乗っててほとんど支障はなかったし。

 知らぬが仏とはこのことである。

 さて、どうしたものでしょう。とりあえず、しばらく時間ができそうにないので、ほったらかしにしておくしか方法はなさそうだ。その間に、Dr.運送屋と「わしのベンリィ号」の問題を討論したいと思う。


 

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