月曜日, 10月 30, 2006

独裁タンデム

 本日、急に寿司を食べたくなったわたくしことベンリィマダムとDr.運送屋は、回る高級寿司『長次郎』へ行った。

 ここのところすっかり寒くなった。VTR250に2ケツして行ったのだが、帰りは特に風が冷たかった。腹がふくれてしんどいから早く帰って寝たい、と思っていた丁度その時、信号待ちのためバイクを停止させたDr.運送屋が振り返って言った。

運送屋:「途中、本屋に寄ってもええか?」
わたし:「だめって言うても行くやろ?」
運送屋:「そうや」

(しばしの沈黙)

二人で:「あは、ははは、あはははは」

 2ケツさせていただいていると、このような状況によく遭遇する。同乗者に対し同意を求める等、一応の気配りをみせてくださるDr.運送屋だが、わたしが首を横に振っても、以降のルート選択に及ぼす影響は全く無い。ま、2ケツさせていただいているので、当然なのだろう。

 わたしは、一度決めたルートは絶対に変更しないたちである。Dr.運送屋とは全く逆だ。けれども、不思議と衝突は少ない。性格上、寄り道ということができないわたしにとって、独裁タンデムは結構楽しいことなのかもしれない、と思うのであった。

火曜日, 10月 10, 2006

CL50最大の危機

 わたくしことベンリィマダムがCL50「わしのベンリィ」号を入手したのは2003年10月のこと。このマシーン(爆)を乗りこなすための血もにじむような努力の日々については、ベンリィ家庭裁判所の開かずの部屋「ベンリィ道場」に詳しい。

 なんとか操作を覚えた後、1年半程度はほぼ毎日乗っていた。といっても、出勤のために駅まで、とか、ちょっとそこまで買い物、といった程度だった。その後、バイク出勤禁止のカイシャに就職しちゃったせいもあり、最近はほとんど乗ることが無くなっていた。「おまいのCL、たまにはエンジンかけてやらなあかんな」とか何とかいいつつ、夫Dr.運送屋がたまに乗る(否、乗っていただく)程度で、ほぼほったらかしの状態だった。

 今日ベンリィマダムは職場に一人残り残業していた。そこに、Dr.運送屋からのメールが届いた。彼は今日も朝CL50で出かけていったのだが、CL50「わしのベンリィ号」の驚くべき秘密を知ってしまったのだ、と言う。以下、運送屋メールを引用したい。

-------引用ここから--------------
最後に、ベンリィですがパンク修理しました。チューブが裂けていました。耐用年数が来たからだということです。で、帰り際のバイク屋との会話を以下に書くと、

バイク屋「お客さん、あのバイク中古で買ったんですか?」
私「はい。そうですが」(引用者注:買ったのは、わしだ)
バ「あのバイク、色んな部品がないまま強引に組み立ててるんで、気を付けて下さいね」
私「え!?」
バ「純正部品じゃない部品が取り付けられていたり、あるべきパーツがないんですよ」
私「………」
バ「純正部品を付けるにしても、パーツがたくさんあるんで時間かかりまっせ?」
私「………」

とりあえず、後輪あたりの部品の欠品が多いみたいなので、乗らない方がいいとのことでした。今まで、何も知らずに乗っていたのを考えると恐ろしいです。

---------引用おわり-------------

 確かに「わしのベンリィ号」は夫の年下の友人から破格の格安で譲ってもらったものだ。その友人はちょっと「ユルい」人で、わたしの家までCLを運んでおろすときに、マフラーが盗まれていることに気付き、後日Dr.運送屋が改めてマフラー部分を入手してくれたのだった。そのくらい「ユルい」人だから、「わしのベンリィ号」の体に起こっていた異変にも気がつかなかったに違いない。

 しかも次のライダーがわしと来た。バイクのことなんかわかるわけないし。乗っててほとんど支障はなかったし。

 知らぬが仏とはこのことである。

 さて、どうしたものでしょう。とりあえず、しばらく時間ができそうにないので、ほったらかしにしておくしか方法はなさそうだ。その間に、Dr.運送屋と「わしのベンリィ号」の問題を討論したいと思う。


 

日曜日, 10月 08, 2006

夢の涯てまでも

 先日、夢を見た。CL50に乗っているわたしと、CD125Tに乗っているDr.運送屋が、公道で競争するというものだ。

 よーい、ドンで発進した直後、わたしは1速から2速に入れようとしたのだが、うまく入れず、Dr.運送屋に遅れをとってしまった。なんとか2速に入れ直し、Dr.運送屋に追いつこうと2速のままアクセルをぐいーっと捻り、加速を試みたのだが、当然この状態ではあまりスピードが出ない。で、「60キロしか出ないよー(涙」と、大変悲しく思ったところで目が覚めた。

 以前、同業者がこんな事を言っていた。

 「この業界の仕事は、原付でずっと100キロ出して走るようなもんだから」

 わたしが見た夢は、こういう事だったのかなぁ、と思うのであった。

 温泉にでも行きたいなぁ・・・。

日曜日, 10月 01, 2006

はじめての高速2ケツ

 昨日、「四十歳の童貞男」を見に岸和田まで行ってきた。 この映画は、関西では岸和田の映画館でしか上映されない。しかもレイト・ショーしかない。岸和田は、我が家からかなり遠い。加えて、わが夫Dr.運送屋は今年晴れてバイク免許取得3年目を迎えた(詳しくはこちら)。したがって、ごく自然な成り行きとして、高速道路を利用することと相成った。

 わたくしことベンリィマダムにとって、バイクでの高速道路走行は生まれて初めての経験だ。いざ走行するとなると、なんだかとても怖くなってきた。まずは服装からきちんとしようと考え、皮ジャンでしっかり上半身を防護し、くつもはき慣れた皮のスニーカーを選択し、ここ最近ずっと倦厭していたグローブも装着した。皮ジャンを着てバイクに乗るのは初めてだ。鏡をみたら、なんだか上半身が『北斗の拳』みたいにごつくなり、顔と上半身が全く別の人間みたいで、少々気味が悪くなった。このことが、わたしの不安をさらに増長させたことはいうまでもなかろう。以前せっかくタンデム・ベルトをDr.運送屋に買っていただいたのに、この時はすっかりその存在を忘れていた。このことは、後に大変な後悔の念を生むこととなる。

 このたびのルートは、長柄から阪神高速に乗り、助松から湾岸線に出て岸和田まで行くコースに決められた。自宅を出てしばらくは見慣れた道を通り、いよいよ高速道路の入り口が見えてきた。料金はわたしが皮ジャンのポケットにしまい、料金所で渡す手はずになっていた。いざお金を取り出そうとしたら、なかなか出てこない。グローブしているし、皮ジャンは身動きが取りにくい。あゎあゎと焦りつつも、なんとかつつがなく料金の支払いを終えた。

 料金所を越えると、鬼のようなカーブが連続していた。しかも、高速道路だから、スピードが大変速い。ひぃぃぃぃっ、びぇぇぇぇっと心の中で絶叫しつつ、恐怖と戦った。前からくる風がとてつもなく強い。前に居るDr.運送屋の体の影になっている所は比較的風圧の影響が少ないのだが、彼からはみ出してしまう腕とか膝下の部分にまともに風があたり、あおられそうになる。タンデム・ベルトを装着しなかったことが悔やまれてならなかったが、今更どうしようもない。Dr.運送屋のハラとベルトの間の溝状の部分に手をしっかりと潜り込ませ、必至で耐えた。

 そのうち、前からの風に加え横風が大変強くなってきた。さらに、風の音がものすごくでかくて、恐怖感を必要以上にかりたてる。途中、Dr.運送屋が片手で景色を指さし、後ろに少し振り返って「夜景!」と叫んだ。このときは「前向いてくれぇぇぇ!」というだけで精一杯で、景色を楽しむ余裕などなかった。でも湾岸線に入るころになると、次第になれてきたようで、不思議な工場の夜景群を『ブレード・ランナー』に出てきそうな景色だ、などど鑑賞するゆとりも生まれてきた。

 そんなこんなで、岸和田に到着した時は、すでにへろへろの状態になっていた。しかし、『四十歳の童貞男』は大変楽しかったし、帰りは堺のてんぷら屋「大吉」でおいしい天ぷらも食べ、大変満足して帰路についた(帰りは下道)。

 三十路を過ぎての高速2ケツデビューは、怖かったけれど大変楽しい思い出となった。人生まだまだ楽しいことが残っているのだな、と感じた一日であった。