日曜日, 3月 05, 2006

アーメン ラーメン 秀一ラーメン

 今回は、涙無しでは語ることができないベンリィマダムの感動秘話を紹介しようと思う。長い話で恐縮だが、ありがたい話でもある。

 バイクに乗っている人は、たいていラーメンが好きだ。試しに検索語「バイク ラーメン」でググってみると、実に378万件ものサイトがヒットする。中には全然関係ないものもあろうが、バイク乗りはラーメン好きとの仮説を裏付けるに十分な実験だと思う。

 そもそも、わたしはそれほどラーメンが好きではなかったし、食べたい衝動に駆られる事もほぼ皆無だった。そんなわたしがラーメン好きとなったのは、バイク乗りであるわが夫Dr.運送屋の教育によるものだ。わたしたちの記念すべき初デートの食事は、京都の新福菜館だった。思えばこれが、Dr.運送屋の教育の始まりだったのだ。いまでは、ことラーメンにかんしては、汗かきふーふー言いながら食べられなければ満足がいかない、硬派で極右的なうるさ型ラーメン好き人間になってしまっていたのである。

 先日、晩ご飯の食材を求めてスーパーへ行った、わたくしことベンリィマダムとわが夫Dr.運送屋は、レジ前の雑誌コーナーで何気なくラーメン紹介の雑誌を手にした。めくるめくこてこてラーメンの写真をみていると、もうラーメンが食べたくて食べたくて、いてもたってもいられず、急遽ラーメンを食べることにした。

 その晩赴いたのは、立ち読みしたラーメン紹介誌に掲載されていた、コンソメラーメンなるものが売りの、カフェ風のラーメン屋だった。結果、コンソメなんだかパスタなんだかよくわからないものが出てきた。「これはラーメンではない」と思えば納得がいくのだろうが、「ラーメン食べたい」という強いわたしたちの衝動を満たすものでは全くなかったのである。まずいとは言いません。でも何か中途半端でしっくり来なかったというのが正直な所だった。だいたい、小綺麗なカフェ風のラーメン屋とはなにごとだ。ラーメン屋のテーブルは、ちょっと油っぽくてぬるぬるしてるものでしょう。テーブルに置くのは、紙ナプキンじゃなくって、ティッシュでしょう。

 ところが、である。当該ラーメン屋の口コミをネットで見ると、「女性を意識した…」「女性に人気の…」との言葉のオン・パレードなのである。「そんな味が理解できないおまえはおっさんや」と言われているようなものだ。さらに、「もし今死んだら、おまえの人生最後のラーメンはコンソメラーメンやなぁ」という、わが夫Dr.運送屋の追い打ちをかけるような冷たい指摘により、わたしの心は傷つき、悲しい日々を送っていた。

 そんな寂しげなわたしの背中を見るに見かねたのか、Dr.運送屋は本日、「おいしいラーメン喰いにいこけ」と、小雪がちらつく中わたしを外へ引きずり出した。目的地は、吹田警察署横にある「秀一ラーメン」だ。
 
 秀一ラーメンは素晴らしかった。にぼしのだしで、めちゃめちゃうまかった。紙ナプキンではなく、ちゃんとティッシュが置いてあった。感動した。

 汗と感涙にむせびながら麺をすすっていたその時、ふと店のメニューの表紙が映った。そこには何故か、ヨハネ書3章16節のフレーズ、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」云々が書かれていた。

 それを見た瞬間、マダムは「アーメン ラーメン 秀一ラーメン」という啓示を受けた。そして目の前には、まるで天使のように真っ白な白衣を纏った秀一ラーメンの店主さんの微笑みがあった。

 春先の雪の日に起こった、大変スピリチュアルな体験だった。こんな体験をすると、Dr.運送屋がついにCBR1100XXを売っぱらって2千キロしか走っていないVTR250を購入した事も、なんだか許せてしまうのだから、大変不思議なのであった・・・(怒。