日曜日, 1月 21, 2007

チャリンキング道:なにわ自転車道→淀川河川敷

 昨年、Dr.運送屋の誕生日プレゼント兼冬のボーナスのプレゼント兼クリスマスプレゼントの全てを兼ねて、ナショナルのRegularという自転車を送った。以来、「実用」という言葉に滅法弱いわが夫はこの昭和のよき時代を彷彿とさせる実用自転車を愛用し、ときどき近所をぶらりと乗って歩いている。そして、「自転車はゆっくりしていてよい」と絶賛しているのである。

 しまいには、『大阪・神戸周辺自転車散歩』なんていう本まで購入してきた。Dr.運送屋の心の中はかなりチャリンコ熱で熱くなっているらしい。
 
 ということで、本日、わたしとDr.運送屋は、自転車に乗って北大阪を散策することと相成った。コースは、なにわ自転車道を通り千舟あたりから少し南下して淀川の河川敷に出る、というものだ。

 春夏ならば花を愛でつつのんびりと梅田のビル群を望みながらサイクリング気分を満喫、という感じになるのだろう。でも今は冬まっさかり。天気も悪く、チャリンコで散策するには最悪の気候であった。青ビニールのおうちも結構多く、ところどころ粗大ゴミが捨てられていて、特に淀川では今時珍しい野犬も目にするような所が多かった。正直途中で挫折すると思っていたのだが、しかしこれが何となく楽しくて、3時間くらいで20キロ強をゆっくりと走り終えた。

 何がおもしろいのかは、はっきりとしない。でも、チャリンコで走るのもオツですな。確実に脂肪燃焼もできるし、Dr.運送屋にとっても健康上好ましい趣味である。納豆ダイエットも眉唾ものだったし、この冬は(たぶん)チャリンコでプチツーリングがわが家のブームとなりそうだ。

水曜日, 1月 03, 2007

正月とバイクと人類滅亡

 年始年末は買い物に行く機会が多い。大掃除用品、正月の食べ物、プレゼント、正月休み中の娯楽グッズ確保などなどで、我が家も1日に幾度も買い物に出かけた。年が明けても、初詣に行ったり、初売りに行ったりと、イベントづくしであるため、外出する機会がやたらと増える。

 もちろん、ベンリィマダムはいつものように、Dr.運送屋に2ケツさせていただき出陣したのであるが、年始年末の公道における車の多さに、改めて驚愕を禁じ得なかった。店の近くはどこも渋滞しているし、駐車場もいっぱいだ。バイクは寒いけれど、こんな時はやはり大変便利である、と感じ入った。バイクだと渋滞とは無縁だし、駐輪場に駐車スペースを探すのも割と容易である。

 バイク最強。

 映画『ディープ・インパクト』を見よ。大津波から逃れる車の渋滞の中を、主人公の男の子がオフロード・バイクで華麗にすり抜けて生き残るではないか。人類滅亡の危機でも、バイクがあれば助かるのである。映画にリアリティを追求するDr.運送屋によれば「2ストなのに4ストのエンジン音がするのはおかしい」とのことだったが、この際それは置いておこう。

 正月休み明け早々にアクロバティックな発想がわいてくるのは、小松左京原典、筒井康隆原作、実相寺昭雄監修、河崎実監督『日本以外全部沈没』を見たせいだ。今年1発目の映画館での映画鑑賞だったのだが、大当たりでした。

 ということで、正月休みが明けても全く仕事のペースが戻っていないベンリィマダムなのであった。

月曜日, 12月 04, 2006

タイヤのパンク事故

 先月末大阪堺市で、クレーン車のタイヤが停車中に破裂、その風圧で横に止まっていた乗用車の窓ガラスが吹き飛び、後部座席に乗っていた子供さんが大けがをした(多数のメディアが報道したが、Yahoo!で配信された毎日新聞の記事はここ)。

 このニュースを耳にした世のライダー諸兄の多くが、「もし隣に止まっていたのがバイクだったら・・・」と想像され、そして恐怖を感じられたことだろう。バイクに無知なベンリィマダムでさえ、そう想像して戦慄を覚えた。

 以前から、CL50に乗っている時に横にトラックなど大きな車がいると、そのタイヤのでかさにかなりびびっていた。本日、我が夫Dr.運送屋と2ケツして色々と買い物しに行ったのだが、トラックの近くを通過する時、やはりかなり怖かった。いたずらに怖がっても全く意味が無いとはわかっているものの、あのニュースが頭の中をぐるぐる回って消えないのだ。

 運転中なら細心の注意を払うことである程度事故は防げるだろう。でも、停車中に横のトラックのタイヤが突然破裂したら、もうどうしようもない。吹っ飛ばされたら、どんなにごっつい服で全身をガードしていても、負傷は必至だ。否、けがで済んだらまだましだ。そしてもし万が一、我が夫が吹っ飛ばされて重傷を負ったら、残されたわたしはどうしたら良いのか。如何なる理由があろうとも、当然許せるはずはない。

 その後、けがしたお子さんはどうなったのだろうか。後遺症などが残らないよう、祈るばかりである。
 そして、タイヤが破裂してライダーが吹っ飛ぶという事故も、絶対に起こりませんように。合掌。

月曜日, 11月 13, 2006

世界最古の(?)バイク映画

 わたくしことベンリィマダムは映画が結構好きであることを、賢明な読者諸氏はすでにお気づきのことだろう。このようなサイトを開設しているため、バイクが出てくる映画にも特に関心を寄せているつもりだが、網羅的に鑑賞することは大変困難だ。

 先日、偶然にも古いバイクの映画の広告を目にした。その名も『ハリケーン・ハッチ』。制作は1921年とあるから、かなり古い映画だ。

 G.サイツ監督の作品だが、この頃彼ははサスペンスやアクションものなどの連続活劇を連発していた。パール・ホワイトなんて女優さんが出てたシリーズは、大変人気を博したと聞いている。

 「THE TRILL-A-MINUTE STUNT KING」と紹介されているチャールズ・ハッチソン。ネクタイを締めて「離れ業 stunt」を繰り広げる彼は、現在のスタントマンの源流なのかもしれない。

 その後、ハリケーン・ハッチは日本の子供向けの雑誌にも数多く登場している。

 見たい。見てみたい。もしかしたら世界で初めてのバイク映画かもしれないこの映画、今のところ見られる方法はわからない。大変残念である。
 

月曜日, 10月 30, 2006

独裁タンデム

 本日、急に寿司を食べたくなったわたくしことベンリィマダムとDr.運送屋は、回る高級寿司『長次郎』へ行った。

 ここのところすっかり寒くなった。VTR250に2ケツして行ったのだが、帰りは特に風が冷たかった。腹がふくれてしんどいから早く帰って寝たい、と思っていた丁度その時、信号待ちのためバイクを停止させたDr.運送屋が振り返って言った。

運送屋:「途中、本屋に寄ってもええか?」
わたし:「だめって言うても行くやろ?」
運送屋:「そうや」

(しばしの沈黙)

二人で:「あは、ははは、あはははは」

 2ケツさせていただいていると、このような状況によく遭遇する。同乗者に対し同意を求める等、一応の気配りをみせてくださるDr.運送屋だが、わたしが首を横に振っても、以降のルート選択に及ぼす影響は全く無い。ま、2ケツさせていただいているので、当然なのだろう。

 わたしは、一度決めたルートは絶対に変更しないたちである。Dr.運送屋とは全く逆だ。けれども、不思議と衝突は少ない。性格上、寄り道ということができないわたしにとって、独裁タンデムは結構楽しいことなのかもしれない、と思うのであった。

火曜日, 10月 10, 2006

CL50最大の危機

 わたくしことベンリィマダムがCL50「わしのベンリィ」号を入手したのは2003年10月のこと。このマシーン(爆)を乗りこなすための血もにじむような努力の日々については、ベンリィ家庭裁判所の開かずの部屋「ベンリィ道場」に詳しい。

 なんとか操作を覚えた後、1年半程度はほぼ毎日乗っていた。といっても、出勤のために駅まで、とか、ちょっとそこまで買い物、といった程度だった。その後、バイク出勤禁止のカイシャに就職しちゃったせいもあり、最近はほとんど乗ることが無くなっていた。「おまいのCL、たまにはエンジンかけてやらなあかんな」とか何とかいいつつ、夫Dr.運送屋がたまに乗る(否、乗っていただく)程度で、ほぼほったらかしの状態だった。

 今日ベンリィマダムは職場に一人残り残業していた。そこに、Dr.運送屋からのメールが届いた。彼は今日も朝CL50で出かけていったのだが、CL50「わしのベンリィ号」の驚くべき秘密を知ってしまったのだ、と言う。以下、運送屋メールを引用したい。

-------引用ここから--------------
最後に、ベンリィですがパンク修理しました。チューブが裂けていました。耐用年数が来たからだということです。で、帰り際のバイク屋との会話を以下に書くと、

バイク屋「お客さん、あのバイク中古で買ったんですか?」
私「はい。そうですが」(引用者注:買ったのは、わしだ)
バ「あのバイク、色んな部品がないまま強引に組み立ててるんで、気を付けて下さいね」
私「え!?」
バ「純正部品じゃない部品が取り付けられていたり、あるべきパーツがないんですよ」
私「………」
バ「純正部品を付けるにしても、パーツがたくさんあるんで時間かかりまっせ?」
私「………」

とりあえず、後輪あたりの部品の欠品が多いみたいなので、乗らない方がいいとのことでした。今まで、何も知らずに乗っていたのを考えると恐ろしいです。

---------引用おわり-------------

 確かに「わしのベンリィ号」は夫の年下の友人から破格の格安で譲ってもらったものだ。その友人はちょっと「ユルい」人で、わたしの家までCLを運んでおろすときに、マフラーが盗まれていることに気付き、後日Dr.運送屋が改めてマフラー部分を入手してくれたのだった。そのくらい「ユルい」人だから、「わしのベンリィ号」の体に起こっていた異変にも気がつかなかったに違いない。

 しかも次のライダーがわしと来た。バイクのことなんかわかるわけないし。乗っててほとんど支障はなかったし。

 知らぬが仏とはこのことである。

 さて、どうしたものでしょう。とりあえず、しばらく時間ができそうにないので、ほったらかしにしておくしか方法はなさそうだ。その間に、Dr.運送屋と「わしのベンリィ号」の問題を討論したいと思う。


 

日曜日, 10月 08, 2006

夢の涯てまでも

 先日、夢を見た。CL50に乗っているわたしと、CD125Tに乗っているDr.運送屋が、公道で競争するというものだ。

 よーい、ドンで発進した直後、わたしは1速から2速に入れようとしたのだが、うまく入れず、Dr.運送屋に遅れをとってしまった。なんとか2速に入れ直し、Dr.運送屋に追いつこうと2速のままアクセルをぐいーっと捻り、加速を試みたのだが、当然この状態ではあまりスピードが出ない。で、「60キロしか出ないよー(涙」と、大変悲しく思ったところで目が覚めた。

 以前、同業者がこんな事を言っていた。

 「この業界の仕事は、原付でずっと100キロ出して走るようなもんだから」

 わたしが見た夢は、こういう事だったのかなぁ、と思うのであった。

 温泉にでも行きたいなぁ・・・。