水曜日, 12月 28, 2005

バイク映画考

 今この時間、スカパーで『マッドマックス』をやっている。Dr.運送屋はじーっと見入っているが、わたしは冒頭を見逃したし、もうそろそろお風呂の時間だし、『マッドマックス』シリーズは、何度も見たし、「まあいいや」といい加減な気持ちで、ちらちら画面を見ているのだけなのだが、それにしてもすさまじい。

 バイクで人間を振り回したり、轢きまくったり、走行中の車にオノで襲いかかったり、めちゃめちゃである。オンライン翻訳マシンのWorldlingoでタイトル"Mad Max"を日本語訳してもらったところ、「気違いの最高」との回答を頂戴した。わたしにもし子供がいたら、このようなタイトルの映画は家で見ることを禁止するだろう。

 『マッドマックス』は1979年の制作だが、同じ年には60年代イギリスのモッズvsロッカーズの対立を描いた『さらば青春の光』も公開されている。思うに、「バイク=不良」の図式はこの2つで決定づけられたのではなかろうか。

 「盗難バイクインターネット捜査網」というサイトの中にある記事「成熟社会のバイク産業とバイク文化」に、興味深い統計を見つけた。これによれば、バイク新車出荷台数は80年代に最高を記録しているし、バイク保有数も80年代初頭から急増している。

 80年代といえば、タケノコ族とか暴走族とかが社会現象/問題として現れた時期だ。この時期、彼等がバイクを所有しはじめ、(そしておそらく『マッドマックス』や『さらば青春の光』に触発され)「バイク=不良」の図式が定着したのかもしれない(かなり強引な論理だが)。

 もっとも、80年代半ばには、誰もがバイクに乗りたいと思っただろう『トップガン』や、オフ車が大活躍する『バック・トゥ・ザ・フューチャーなんかが登場して、「バイク=不良」の一色ではなくなったと思われる。また、アメリカかぶれの片岡義男原作『彼のオートバイ 彼女の島』とかでは、バイクは色恋沙汰の名脇役となり、そのイメージもかなり変わったように感じる。

 でも、「バイク=不良」のイメージは無くなったわけでないと思う。たとえば今年の夏に日本で上映された『ランド・オブ・ザ・デッド』でも、冒頭の略奪(?)シーンで活躍しているし、『セブンソード』だって馬をバイクに変えたら、『マッドマックス』の世界と全く同じだろう。

 ベンリィマダムも、実は「バイク=不良」のイメージをなかなか払拭する事ができない。でも、『親愛なる日記』で、くたびれたいい感じのモレッティが、ベスパに乗ってぶらりと街を走ってまわる所なんかを見ると、なんともほのぼのした気持ちになるのである。

 やっぱり、ぎらぎらしたりちゃらちゃらしたりするよりも、のほほんとまったり乗るのがいいなぁ、と、改めて思ったのだった。
 
 

月曜日, 12月 26, 2005

衝撃的な新聞

 バイクとは何の関係もないのだが、びっくりした出来事があったので、記そうと思う。

 本日、京都からJRで大阪方面へ向かっていた時、わたしの斜向かいに座っていた中年のおじさんが新聞を読んでいた。何気なく彼が読む新聞に目をやったその瞬間、わたしは驚愕した。なぜならそれは、「韓国キムチ新聞」という名前だったからだ。

 世の中には、ニッチな業界紙が沢山あると認識しているが、この「韓国キムチ新聞」もその一つなのか。

 いや、わたしはそうではないと見た。そのおじさんが見ている号の一面の見出しには、「キムチは発酵食品 日本の納豆と同類」とあった。業界紙ならば、こんな初歩的な記事が一面に載るはずはなかろう。

 気になる。非常に気になる。しかも、昨日の夜は天満の玉一で、おいしい韓国料理を食べたばかりなのだ。なんてタイムリーなのだろう。

 ネットで検索しても、国会図書館のOPACで探しても、「韓国キムチ新聞」の情報は皆無である。

 いったい、誰がどんな読者に向けて、どの程度発行している新聞なのだろうか。日本語で書かれていたから、日本語話者向けの新聞であることは想像つくのだが、その他は全く不明である。

 こんなに気になるのなら、あのとき勇気を出して、「韓国キムチ新聞」を読んでいたおじさんに、入手方法について尋ねるべきだった。早く情報を入手して、すっきりと新年を迎えたいものだ。

木曜日, 12月 22, 2005

それでもバイクは走る

 関西に大雪が降った。関西歴14年のベンリィマダムも、こんな吹雪は初めてだ。今朝起きて外を見た瞬間、一瞬故郷の北海道にいるかのような錯覚に陥ったくらいだ。

  マダムの職場は、バイクや自動車での通勤が禁じられている。普段は電気アシスト付自転車で出勤しているわたしだが、本日は徒歩で行くことにした。歩いて も30分程度だから、ダメージはそんなにない。ところが、普段はバイクで通勤しているDr.運送屋にとって、本日のような吹雪の朝は、大変頭が痛いらし い。外の様子を偵察しにいった彼は、家へ戻ってくるなり、「バス、走ってねぇよ…」と、いつになく弱気になっていた。そりゃそうだ。

 意 を決して外にでると、久しぶりの雪道に、なんだかうきうきしてきた。北海道人は、雪の上を歩くとき、必ずペンギン歩きになる、と言われている。彼等 は、足を地面につける時、足の裏全面を接地させ、両腕でバランスを取りながら、小股でちょこちょこと歩く。こうするとすべらないのだが、ちょこちょこ歩く 姿がペンギンみたいに見えるらしい。無意識にペンギン歩きになっていたわたしは、紛れもない北海道人なのであった。

 ペンギンのように ちょこちょこ歩きながら、わたしは道路を行くバイクの方々をしっかり観察していた。道ばたには、雪が積もって放置されたバイクも多かっ たが、道を走っているライダーも結構いた。何もこんな日にバイクに乗らなくても、とも思うのだが、バイクに乗らなければならない個別の事情もあるのだろ う。それにしても、こんな日のバイク運転は「しんどい」の一言につきる。

 下り坂で後輪ロックしちゃったり、歩道を必死で押してたり、カーブでずるっとこけたり、と、皆さん災難に遭っていた。寿司の配達屋さんのスクーターが、曲がり角で滑りながら歩道に接近してきた時はさすがにひやっとした。何もなくてよかったです。

 それでも、車通りの多い日の当たる道路などはすでに雪が溶解しており、結構バイクの姿を目にした。こちらの人は、タフというか怖いもの知らずというか、色んな意味でエネルギーがあるのだなあ、と感じた次第である。
 

 

 

月曜日, 12月 19, 2005

ガキ帝国

 うちのマンションはファミリー向け賃貸である。つまり、子供が多い。子供は公園で遊ぶもの、という考えはもう古い。最近の子供はマンションの駐車場で遊 ぶ。管理会社の再三にわたる「駐車場での遊戯禁止」通告を完全に無視して、休日などは親子が楽しく駐車場でボール遊びをしている。

 一度など、子供がDr.運送屋のCD125Tの上に靴のまま登り、シートに立って遊んでいた。子供保護が叫ばれる昨今の状況を鑑みると、万が一子供が落ちて怪我でもしたら、たとえわたしたちがしかるべき場所へバイクを駐輪していたとしても、責任も追究されかねない。

 だからといって、駐輪場へバイクを止めないわけにはいかない。だってそれは当然だからだ。

  本日、午後の散歩から帰ってきたDr.運送屋とベンリィマダムは、信じられない光景を目の当たりにした。うちのCD125Tが倒されていたのだ、しかも 右側に。倒れたCD125Tは、右横の原付を押し倒し、原付はそのまた右にあったうちのブラックバードへよりかかっていた。重いブラックバードがドミノ倒 しをなんとか止めていた。

 Dr.運送屋の額に怒マークが浮き上がった事はいうまでもない。バイクが右に倒れるなど、自然現象としてあり 得ようか。バイクの無惨な光景を目の当たり にした瞬間、いつも駐車場で激しい遊戯を展開しているお子様たちの顔が脳裏をかすめた。しかし、法治国家で成熟したオトナとして生活しているわたしたち は、推定無罪の原則を貫かねばならぬ。しかも子供は未成年だ。

 怒りの鉄拳をぶつける場所などあろうはずもない。Dr.運送屋はわなわなと震えながら、ひとつひとつバイクを起こしていった。ブラックバードに倒れかかっている原付を起こした瞬間、ブラックバードが本来の位置へもどろうと自らの車体を左へ傾け始めた。

 その瞬間わたしは無意識にブラックバードを支えようとした。これが間違いだった。次の瞬間、わたしは地面に転がっていた。そして、右の膝小僧に激痛を感じていた。かわいそうなわたしの膝小僧は、血まみれになっていた。

 左に傾き始めたブラックバードのサイドスタンドが地面に当たった衝撃で、中途半端に支えようとふんばったわたしは、はじき飛ばされてしまったのだ。

 責任の所在が曖昧であるのは、わたしが最も嫌う事だ。じわんじわんと痛む膝小僧をさすりながら、わたしは思う。いつか、駐車場のバイクが子供の玩具と化している現場を押さえ、みっちり説教してあげたい。

 

金曜日, 12月 09, 2005

2005年度冬季マストアイテム ハクキンカイロ

 先日の大嵐が過ぎ去った後、急に寒くなった。

 バイク乗りであるわが夫Dr.運送屋にとって、この季節は念入りな防寒対策が必要だ。CD125Tも、風防やヤママルトのハンドルカバーが装着され、冬仕様となっている。
 
 そんな彼は先日、「カイロが欲しい」と言った。やさしいベンリィマダムは次の日、買い物のついでに、10袋313円の桐灰の使い捨てカイロを購入し、帰宅した夫へ微笑みとともに献上した。ところが、わが夫は苦笑いを浮かべてこう宣ったのである。

 「わしが言うてたのは、ハクキンカイロや。」

 で、本日、そのハクキンカイロが我が家に到着した。昭和レトロなハクキンカイロは、使い捨てカイロとは比べものにならない程暖かく、快適だ。ひもをつけて首からぶら下げておくと、暖房をつけなくても、ぬくぬくと心地よいのである。これは大変便利である。

 フィールドラカンの防寒コートと言い、ハクキンカイロといい、この冬は防寒アイテムが充実している。これだけそろっているなら野営も怖いもの無し、と言いたいところだが、その予定は今のところ依然として白紙のままなのであった。

 

土曜日, 12月 03, 2005

シェラカップ

インドアでも大活躍item :シェラカップ

 「シェラカップ」は固有名詞である。が、今ではシェラカップと同じ形態の入れ物の総称となっている。直接火にかけても取っ手や飲み口が熱くならない。使わないときは、テントにひっかけたり、小さなカラビナでベルトに下げておけばOK。

 マダムが持っているのはS.R.Cオリジナルのステンレス製のもので、10年以上使っている。以前、30キロ近くの荷物を詰め込んだザックの底辺に入れっぱなしにした事があったが、変形しなかった。やはりここは一つ、ケチらないで丈夫なものを一つ持っておきたい。

 お茶やコーヒーはもちろん、おかずを入れたりご飯を炊いたりと、アイデア次第で使い道は広がる。学生時代の友人は、大きいシェラカップでインスタント・ラーメンを煮ていた。

 最後に、マダムのシェラカップは今では歯みがき用コップに成り下がってしまったことは、秘密にしておこう。

ヤママルト ハンドルカバー

【冷え性ライダーに捧ぐitem :ヤママルトのハンドルカバー】

 この季節になると、世の中にはヤママルトのハンドルカバー・ジプシーが急増するらしい。

 わたしは去年の秋、奈良の大和郡山にあった「ドライバーズ・スタンド」で買った。

 いまどきウェブサイトを持っていない、稀少な存在ヤママルト。
 そして今は無き大和郡山の「ドライバーズ・スタンド」。

 寒い季節の野営は冷え性には辛い。そんな時は、ヤママルトのハンドルカバーを取り外し、冷え切ったシュラフの中で痺れる足にかぶせてやる。神経質なライダーは、ファブリーズを持参の事。

金曜日, 12月 02, 2005

ブラックバー道5 三十郎の余裕

 ここのところ、我が家では黒澤明が流行っている。正確に言えば、『七人の侍』や『用心棒』に出てくる「素浪人」とか「野武士」とかいう言葉だけを、意味無く連発するのが流行っているのである。こんな言葉は普通の生活で絶対に使わないが、だからこそ面白い。「素浪人」といえば、『用心棒』や『椿三十郎』の三船敏郎扮する三十郎が印象深い。めちゃくちゃ強いにもかかわらず、普段は人を食ったような物言いばかり。三十郎はまさに「能ある鷹は爪を隠す」の体現だろう。

 ところでわたしは最近、大変な事に気がついた。わが夫Dr.運送屋から放たれていた「闘争心」という名のオーラが、めっきり感じられなくなったのである。「闘争心」についてはベンリィ家庭裁判所の判例にも書いたので、記憶されている諸兄もいらっしゃるだろう。

 夫から「闘争心」が無くなったのは、実は大型二輪免許取得と大いに関係しているのだ。

  CBR1100XXは、でかい。すげーでかい。わたしのCL50なんか、おもちゃに見えるくらいでかい。だから、渋滞をすり抜けて前へ進むなんて事は めったに出来ない。以前の夫は、時間に余裕がある時でさえ、まるで生き急ぐかの如く、すり抜けすり抜け、常に前を目指していた。ところが、最近はめったに すり抜けなくなったのだ。この件について夫は最近、「大型乗っていると、せこせこすり抜けするのがバカらしくなった」と、その胸の内を明かしたのだった。

  夫の心境の変化は、異なる状況下でも散見される。例えば、信号待ちで横に並んだスクーターの兄ちゃんが、半ヘルでくわえたばこ、不必要な空ぶかしを連発 する等の不快な行為をしたあげく、信号が青に変わる1秒前から猛烈な勢いでスタートダッシュして行ったとしよう。この場合、スクーターの兄ちゃんの行為 は、Dr.運送屋が生来的に持ち合わせる暴力的なまでの正義感を必要以上に刺激することとなる。ところが最近、このような事例を目の前にしても、夫はまる で相手にしなくなった。

 一言でいえば、大型二輪に乗っている、余裕なのだろう。
 爆音とともに飛び出していったスクーターの兄ちゃんなんか、CBR1100XXならば、アクセルを数ミリ開けたらすぐに追いついてしまうのだ。

 わたしはいつもバイクの後に乗せていただいているから、夫の表情を垣間見ることはできない。もしからしたら夫は、生き急ぐようにダッシュしていったスクーターに追いついたその瞬間、「もうすぐ四十郎だがな」と、含み笑いを浮かべているのかもしれない。

 

金曜日, 11月 25, 2005

ツーリング計画書

 あまりに忙しくて全くツーリングへ行けないので、計画書だけ練ってみた。実現する日が近い事を祈るばかりである。

【月ヶ瀬きのこ山荘・温泉ツーリング計画書】

計画趣旨:
 伊賀牛と温泉で疲れた体を癒し、互いに慰労しあう。「ブラックバー道」号ではじめて割合長距離のツーリングを行う為、日帰り可能かつ行ったことがある場所を目的地とし、大型二輪タンデムの練習とする。

日程:   未定(涙)
場所:   奈良県奈良市月ヶ瀬
メンバー: Dr.運送屋、ベンリィマダム
使用バイク:CBR1100XX
装備:   防寒具、温泉用品(タオル等)、地図、現金

行動計画:
 主なルート:ずっとR163
  9:00 出発
 12:00 月ヶ瀬山本きのこ山荘着、昼食(すき焼き又はバーベキュー)
 14:00 きのこ山荘発
 14:30 月ヶ瀬温泉梅の郷で入浴、休憩
 15:30 梅の郷の隣「ふれあい市場」で食材調達
 16:00 梅の郷発
 17:30 川端風太郎で休憩、モンブランを食べる
 18:30 川端風太郎発
 20:00 帰宅

報告書提出予定日:未定(涙)

 

土曜日, 11月 19, 2005

ブラックバー道4 “こちら側”の作法

 わが夫Dr.運送屋がバイク免許をとったきっかけは複数あるが、中でも特に影響が大きかったのは、事故のためもうバイクには乗れなくなってしまった元ライダーの、「“こちら 側”においでよ」という言葉だった。“こちら側”というのは、バイク乗りの世界であるらしい。誰が言い始めた言葉かは不明だが、バイクの漫画『キリン』 ではしばしば登場する。ベンリィ家庭裁判所の傍聴者諸兄はすでにご存じの通り、Dr.運送屋は、こういう熱い言葉に非常に弱い。門真試験場の試験官には意 外とやさしい人が多かった、という事は前回述べたが、Dr.運送屋にとって、おそらく一番印象に残ったのは「試験場で も公道でも、常にバイク乗りとしてのプライドを持て」と説いた、熱い中年の男性試験官だろう。そう、夫は大型二輪免許取得後、改めて“こちら側”の世界の 作法を尊重し、崇拝し、大人のバイク乗りたる“正しさ”に再び目覚めたのである。

 “こちら側”の作法の一つに「ケチらない」がある。こ れはわた しが今考えた作法だ。これまで夫は、バイクの整備は自分の手で行っていた。その方が安上が りだし、整備が好きだからだ。この方法は一見すると良さそうなのだが、マメな人間でないと継続できない所が最大の欠点だ。「CD125Tのチェーンがゆ るんで来たなー、変えんなあかんなぁ」との言葉を一ヶ月近く繰りかえす夫にとって、”定期的”とか“継続”とかは困難だ。「やる」と思い立ったらその瞬間 にやるのだが、「やろうかなぁ」の時はやらない。加えて、メンテナンスをする場所が複数ある場合、すべてのメンテナンスが終了する頃には、新たな整備を必 要とする箇所が現れる。エンドレスである。整備する事そのものが楽しいのだから、彼にとってはこれは問題ではなかろう。しかし、いらちなベンリィマダムに とって、彼のこうした行動は、精神衛生上よろしくない。なぜ一発でしゃきーんと直さないのか。

 CBR1100XXの整備に当たって彼は、ついにこの悪癖を改め、お店で一通り整備をしてもらった。以前の彼ならば、「お金がもったいない」「自分でできる」「いつかやる」「そのうちやる」などの理由で、お店で整備してもらう等の発想をしなかっただろう。
  実は、今回譲ってもらったCBR1100XXは、車検が切れていた。一刻も早く車検を受ける為に、早期の整備が必要だった。お店に頼んだのは、そういう 経緯もある。ま、細かい事は置いといて、そのおかげで、免許取得後数週間で、CBR1100XXの公道デビューが叶ったのだった。

  とこ ろで、いつも夫のケツに載せていただいているわたしも、”こちら側”の作法を遵守する必要がありそうだ。とりあえず、2年前に南海部品で買った、銀 色の安っぽいヘルメットを買い換える事から始めようと思う。そして、長期に渡り放置していたCL50「わしのベンリィ号」の自賠責が切れそうなので、多分 今後も乗らないとは思うが、早く更新しよう。この2点だけでも相当な出費なのだが、“こちら側”の作法その1「ケチらない」を作った のは他でもない、わたしなのだ。「もう少しで給料日だから」「あと少しで冬のボーナスだから」とかの言い訳はいけない。これを書いていて、こんな作法など 作らなければよかったと思っている事は、秘密にしておこう…。

火曜日, 11月 15, 2005

ブラックバー道3 FULL METAL JACKETな日々

 その昔(と言っても10年ほど前までの話だが)、大型二輪免許取得が「限定解除」と呼ばれていた時代。「限定解除」は全てのライダーの憧れだったにもか かわらず、それを成し遂げるのは相当困難だったと耳にしている。試験官は絶対的な権力を持ち、ちょっとのミスでも合格させてくれない。「服装が悪い」と 言っ て試験を受けさせてもらえない事も日常茶飯事。20回30回受けても受からないのは当たり前。そんな話を聞くと、気の弱いベンリィマダムは、ついつい「こ のウジ虫ども!」「目玉えぐって、マ○コしてやる!」と、新兵を罵倒する『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹を 思い出し、「ああ、教習所で大型二輪免許が取れる時代に生まれてよかった」と思ってしまう。けれども、わが夫Dr.運送屋の門真通いにより、さすがにこの 時代、ハートマン軍曹みたいな試験官はいない、という事がわかって、ほっとした。というより、親切な試験官が大変多いようなのだ。夫は 時間 があるときは、早く試験場へ赴き、練習をしていた。その時、練習場にいる教官に色々とアドバイスをいただけたそうだ。当然細かい所までは指導し てくれないが、一言で弱点を言ってくれる教官もいたそうなんです。

 CD125Tは大変良いバイクだと思うが、今回ばかりはそれが欠点で もあった。夫の場合、「ニー・グリップ」がきちんと出来ていない為、ふらついたりす る事が多いようだった。夫はかつて、YAMAHAのXJR400というバイクにも乗っていたのだが、ここ数年はCD125Tばかり乗っていていたので、ガ ニマタが癖に なってしまったらしいそして、大型だから、125CCのバイクのようにアクセルをひねったら、えらい事になってしまう。この辺の違いも、最初は結構戸惑い の原因となったようだ。

  おもしろい事に、試験場には必ず「常連さん」がいるようで、何度も試験をしていると、「常連さん」同士がちょっと した知り合いになる。昼間から、多くが仕 事を休んで、必死で合格を目指す面々である。時には不合格の悲しみを分かち合い、時には互いに弱点を指摘し合い、次回合格を目指して励まし合う。夫と同時 期に門真へ通っていた面々には、職人風の若い男性(以降「職人」さんと呼ぶ)、サラリーマン風で夫と同世代の男性(以降「営業さん」と呼ぶ)などがいた。 職人さんは、夫よりも早く門真に通っていたのだが、もう何度も不合格が続いていた。夏の繁忙期を前にこれ以上仕事を休めないし、奥さんにもあきれられてい て、本当に大変そうに見えたそうだ。営業さんも、仕事の合間を縫って一所懸命頑張っていたが、なかなか完走する事ができずにいたそうだ。その他にも、 ちょっと強面の中年男性(この場合呼び名は「おっちゃん」さんとするのが妥当だろう)、小柄な若い女の子(「姫」とでも呼ぼうか)等、バラエ ティーに富む面々が試験に挑んでいた。妻としては、夫が他の受験者たちに何と呼ばれていたのか、興味がある所だ。

  そんな個性的な仲間に励まされていた夫は、門真通いを初めて5回目くらいに、かなりおしい所までいった。ただやはり、一本橋に対する苦手意識がそうさせる のか、規定の10秒粘るのが怪しかったり、不必要な確認やふらつきで減点が続き、なかなか合格できなかった。さらに、試験官によっては微妙に採点の方法や 重視するポイントが異なるらしい。法規走行をかたくなに重視する試験官もいれば、細かい所よりも大型二輪に「乗り切れている」所を重んじる試験官もいるよ うだ。

 試験も6、7回目ともなると、夫もだいぶ余裕してきたようである。試験に落ちて帰ってきても、深刻な顔つきをしていない。試験場から帰ってくる夫の表情は、回を追うごとに、晴れやかになっていく。

 そして、8月のある日。満面の笑みを浮かべて帰ってきた夫の姿を見て、わしは夫の合格を悟ったのだった。苦節8回目の挑戦だった。長いようで、意外と短い道のりだった。 

 最後に、夫が参考にしていた門真の免許取得情報はこちらです。

月曜日, 11月 14, 2005

ブラックバー道その2 門真ブルース

 棚から降ってきたCBR1100XXを、大型二輪免許がないのに買うことにしたわが夫Dr.運送屋。思い立ったが吉日とは夫の為にある諺だ。電話があった直後の6月下旬、夫は門真の免許試験場へ通い始めた。

 「教習所行かへんの?」
  わしのこんな質問は、夫にとっては愚問だった。小型二輪、普通二輪ともに一発試験の道を突き進んできた夫には、「教習所へ行く」という選択肢は微塵もな かった。わたしの場合、「教習所へ行くこと」は「安全を買うこと」に等しいが、夫の場合は「免許を金で買う」事に相当するのだった。もっとも、教習所で大 型免許を取得するには、ものすごくお金がかかる。結局それが、一発免試験選択の一番の理由だった。

 門真の免許試験場は、毎週水曜日と金 曜日にしか大型二輪の試験をしていない。事前審査は、第1、第3木曜のみだ。普通のサラリーマンなら、一発試験は時 間的に無理だろう。ところが、Dr.運送屋は仕事柄、昼間は割と時間が取れる。この事も、彼を一発試験に駆り立てた要因だろう。運転免許試験場での人間模 様は機会を改めて触れるつもりだが、試験場仲間には、サラリーマンをしている人も仕事を休んで来ていたそうだ。

 一発試験、それは世のライダーを魅了する「オトコらしい」生き方なのかも知れん(正直わからん)。

 ともあれ、Dr.運送屋は以降、雨が降っても槍が降っても、門真通いを始める事となったのだった。

  第1回目の試験が終わった日。夫はいつになくしょんぼりとしている。聞くと、以前小型・普通二輪を取得した際に全く問題なかった一本橋で落ちてしまい、 途中で試験中止となってしまった、とのこと。「1回で受かるわけはない」と本人もわかっているはずだが、それでも相当ショックが大きかったらしい。練習し ようにも、その時点でわが家で一番大きなバイクはCD125Tしか無い。

 しばらくすると夫は、「ちょっと練習してくるわ」と言い残し、 家を出た。そう、夫はロータリー式のビジネスバイクでもいいから、とにかく練習しないと、 いてもたってもいられなかったらしい。わが家の近所にある、誰もいない駐車場の白線を一本橋に見立て、何度も何度も練習するわが夫。なんて涙ぐましい努力 なのだろう。

 そんなわが夫の姿を見て、わしは丹下段平の気持ちが少しわかるように思えた。

日曜日, 11月 13, 2005

ブラックバー道その1 棚からブラックバード

 2005年初夏。わたくしことベンリィマダムとわが夫Dr.運送屋は、いつも通りの平穏な午後をゆったり過ごしていた。そこへ、夫の携帯がなりひびいた。その電話は、ベンリィ家庭裁判所の歴史を塗り替える一連の出来事の幕開けだった。

 電話は、夫の年下の友人N君からだった。N君は長い長い大学生活を終え、実家のある中部地方に戻っていた。N君はバイク乗りだ。ホンダのCBR1100XXというでっかいバイクを持っていたが、最近は全く乗っておらず、借りっぱなしになっている下宿の駐車場に置きっぱなしにしていた。

 かつてわたしはベンリィ家庭裁判所の訴状で、夫はバイクを惹きつける電波を発していると記したが、その電波は今も健在だった。N君は、置きっぱなしにしているCBR1100XXを、破格の値段で夫にゆずってくれるという。

 CBR1100XX ブラックバード。バイクに無知なマダムだって、これが大型二輪である事は知っている。おそらく、CL50「わしのベンリィ号」が100台かかっていっても負けるだろう(嘘)馬力を持ち、発売当時世界最速と絶賛された、CBR1100XX、黒い鳥。

 夫ばかりか、わしの眼もらんらんと輝いた事は言うまでもない。夫はN君のありがたい申し出に、即答したのだった。

 ところが、一つ問題があった。夫は大型二輪免許を持っていなかったのだ。
 さあどうするのだDr.運送屋よ…。

カテゴリ:ブラックバー道 

温泉修行道第拾伍番 能勢汐の湯

 先日、久しぶりに温泉に行ってきた。ホンダCBR 1100xx ブラックバード納車後、初の超プチツーリングだ。行き先は、大阪能勢の温泉旅館、「汐の湯」

 R173とR176の交差点近くにあるうどん家「吾妻」で腹ごしらえをして、出発進行。R173をひたすら突き進み、一庫ダムを越え、道の駅「栗の郷」を通り越してすぐの所に、ひっそりとした日本家屋の小さな旅館がある。それが、汐の湯温泉。

  入泉料は大人一人1,000円と、かなり高い。お風呂の作りも、なんだかちょっと適当。鉄分が多いお湯だから、ぱっと見はちと汚い。そしてぬるい。がし かし、ちょっと(否、かなり)鄙びた感じが、帰ってよかったです。一番いいのは、平日だったから、人が全然いなかった所です。こんな近くに、変わった泉質 の温泉があるとは知らなかった。

 ところでここは、泉質もさることながら、建物が面白い。日本建築なんだけど、洋間もある。数年前話題を呼んだ昼のメロドラマ「真珠夫人」に出てきそうな感じでした(めっちゃ小さいけど)。

 本当はもっと温泉に行きたいのだけれど、最近は全っ然行けません。久しぶりに入った温泉は、結構楽しかったです。

 過去の温泉修行道はベンリィ家庭裁判所温泉修行道へ。

わが家の防寒着2005年度秋冬編

 わが夫Dr.運送屋は、普段は服装・小物その他に全く無頓着であるが、ことバイク・ウェアにかんしては突然「違いのわかる男」となる。Yシャツなんて数 える位しか持っていないのに、バイク用ジャケットなど、両手で数え切れない程の数を所有する。彼のコレクションの中で、一番多いのが、冬用防寒着の類であ る。

 昨年冬、Dr.運送屋は「究極の防寒着」を手に入れた。フィールドラカンという会社が出している防寒ハーフコートである。作りがしっかりしている上に暖かい。しかも、軽い。早速夫の強烈なプッシュに押されて注文しようとしたところ、マダムが欲しかったオレンジのMサイズが売り切れていて、泣く泣く断念した。

 あれから10ヶ月、今年もまた寒い季節がやってきた。先日、Dr.運送屋は10ヶ月遅れのマダムの誕生日プレゼントとして、フィールドラカンの防寒コートを買ってくれた。

 この防寒コート、メンズしかないので、最小のMサイズでもかなり大きい。でも、本格的な冬になれば、下に沢山着込むから、この程度でも大丈夫かと思われる。

 肝心の着心地だが、最高ですね。軽くて暖かくって、この冬は大変重宝しそうである。