水曜日, 12月 28, 2005

バイク映画考

 今この時間、スカパーで『マッドマックス』をやっている。Dr.運送屋はじーっと見入っているが、わたしは冒頭を見逃したし、もうそろそろお風呂の時間だし、『マッドマックス』シリーズは、何度も見たし、「まあいいや」といい加減な気持ちで、ちらちら画面を見ているのだけなのだが、それにしてもすさまじい。

 バイクで人間を振り回したり、轢きまくったり、走行中の車にオノで襲いかかったり、めちゃめちゃである。オンライン翻訳マシンのWorldlingoでタイトル"Mad Max"を日本語訳してもらったところ、「気違いの最高」との回答を頂戴した。わたしにもし子供がいたら、このようなタイトルの映画は家で見ることを禁止するだろう。

 『マッドマックス』は1979年の制作だが、同じ年には60年代イギリスのモッズvsロッカーズの対立を描いた『さらば青春の光』も公開されている。思うに、「バイク=不良」の図式はこの2つで決定づけられたのではなかろうか。

 「盗難バイクインターネット捜査網」というサイトの中にある記事「成熟社会のバイク産業とバイク文化」に、興味深い統計を見つけた。これによれば、バイク新車出荷台数は80年代に最高を記録しているし、バイク保有数も80年代初頭から急増している。

 80年代といえば、タケノコ族とか暴走族とかが社会現象/問題として現れた時期だ。この時期、彼等がバイクを所有しはじめ、(そしておそらく『マッドマックス』や『さらば青春の光』に触発され)「バイク=不良」の図式が定着したのかもしれない(かなり強引な論理だが)。

 もっとも、80年代半ばには、誰もがバイクに乗りたいと思っただろう『トップガン』や、オフ車が大活躍する『バック・トゥ・ザ・フューチャーなんかが登場して、「バイク=不良」の一色ではなくなったと思われる。また、アメリカかぶれの片岡義男原作『彼のオートバイ 彼女の島』とかでは、バイクは色恋沙汰の名脇役となり、そのイメージもかなり変わったように感じる。

 でも、「バイク=不良」のイメージは無くなったわけでないと思う。たとえば今年の夏に日本で上映された『ランド・オブ・ザ・デッド』でも、冒頭の略奪(?)シーンで活躍しているし、『セブンソード』だって馬をバイクに変えたら、『マッドマックス』の世界と全く同じだろう。

 ベンリィマダムも、実は「バイク=不良」のイメージをなかなか払拭する事ができない。でも、『親愛なる日記』で、くたびれたいい感じのモレッティが、ベスパに乗ってぶらりと街を走ってまわる所なんかを見ると、なんともほのぼのした気持ちになるのである。

 やっぱり、ぎらぎらしたりちゃらちゃらしたりするよりも、のほほんとまったり乗るのがいいなぁ、と、改めて思ったのだった。
 
 

月曜日, 12月 26, 2005

衝撃的な新聞

 バイクとは何の関係もないのだが、びっくりした出来事があったので、記そうと思う。

 本日、京都からJRで大阪方面へ向かっていた時、わたしの斜向かいに座っていた中年のおじさんが新聞を読んでいた。何気なく彼が読む新聞に目をやったその瞬間、わたしは驚愕した。なぜならそれは、「韓国キムチ新聞」という名前だったからだ。

 世の中には、ニッチな業界紙が沢山あると認識しているが、この「韓国キムチ新聞」もその一つなのか。

 いや、わたしはそうではないと見た。そのおじさんが見ている号の一面の見出しには、「キムチは発酵食品 日本の納豆と同類」とあった。業界紙ならば、こんな初歩的な記事が一面に載るはずはなかろう。

 気になる。非常に気になる。しかも、昨日の夜は天満の玉一で、おいしい韓国料理を食べたばかりなのだ。なんてタイムリーなのだろう。

 ネットで検索しても、国会図書館のOPACで探しても、「韓国キムチ新聞」の情報は皆無である。

 いったい、誰がどんな読者に向けて、どの程度発行している新聞なのだろうか。日本語で書かれていたから、日本語話者向けの新聞であることは想像つくのだが、その他は全く不明である。

 こんなに気になるのなら、あのとき勇気を出して、「韓国キムチ新聞」を読んでいたおじさんに、入手方法について尋ねるべきだった。早く情報を入手して、すっきりと新年を迎えたいものだ。

木曜日, 12月 22, 2005

それでもバイクは走る

 関西に大雪が降った。関西歴14年のベンリィマダムも、こんな吹雪は初めてだ。今朝起きて外を見た瞬間、一瞬故郷の北海道にいるかのような錯覚に陥ったくらいだ。

  マダムの職場は、バイクや自動車での通勤が禁じられている。普段は電気アシスト付自転車で出勤しているわたしだが、本日は徒歩で行くことにした。歩いて も30分程度だから、ダメージはそんなにない。ところが、普段はバイクで通勤しているDr.運送屋にとって、本日のような吹雪の朝は、大変頭が痛いらし い。外の様子を偵察しにいった彼は、家へ戻ってくるなり、「バス、走ってねぇよ…」と、いつになく弱気になっていた。そりゃそうだ。

 意 を決して外にでると、久しぶりの雪道に、なんだかうきうきしてきた。北海道人は、雪の上を歩くとき、必ずペンギン歩きになる、と言われている。彼等 は、足を地面につける時、足の裏全面を接地させ、両腕でバランスを取りながら、小股でちょこちょこと歩く。こうするとすべらないのだが、ちょこちょこ歩く 姿がペンギンみたいに見えるらしい。無意識にペンギン歩きになっていたわたしは、紛れもない北海道人なのであった。

 ペンギンのように ちょこちょこ歩きながら、わたしは道路を行くバイクの方々をしっかり観察していた。道ばたには、雪が積もって放置されたバイクも多かっ たが、道を走っているライダーも結構いた。何もこんな日にバイクに乗らなくても、とも思うのだが、バイクに乗らなければならない個別の事情もあるのだろ う。それにしても、こんな日のバイク運転は「しんどい」の一言につきる。

 下り坂で後輪ロックしちゃったり、歩道を必死で押してたり、カーブでずるっとこけたり、と、皆さん災難に遭っていた。寿司の配達屋さんのスクーターが、曲がり角で滑りながら歩道に接近してきた時はさすがにひやっとした。何もなくてよかったです。

 それでも、車通りの多い日の当たる道路などはすでに雪が溶解しており、結構バイクの姿を目にした。こちらの人は、タフというか怖いもの知らずというか、色んな意味でエネルギーがあるのだなあ、と感じた次第である。
 

 

 

月曜日, 12月 19, 2005

ガキ帝国

 うちのマンションはファミリー向け賃貸である。つまり、子供が多い。子供は公園で遊ぶもの、という考えはもう古い。最近の子供はマンションの駐車場で遊 ぶ。管理会社の再三にわたる「駐車場での遊戯禁止」通告を完全に無視して、休日などは親子が楽しく駐車場でボール遊びをしている。

 一度など、子供がDr.運送屋のCD125Tの上に靴のまま登り、シートに立って遊んでいた。子供保護が叫ばれる昨今の状況を鑑みると、万が一子供が落ちて怪我でもしたら、たとえわたしたちがしかるべき場所へバイクを駐輪していたとしても、責任も追究されかねない。

 だからといって、駐輪場へバイクを止めないわけにはいかない。だってそれは当然だからだ。

  本日、午後の散歩から帰ってきたDr.運送屋とベンリィマダムは、信じられない光景を目の当たりにした。うちのCD125Tが倒されていたのだ、しかも 右側に。倒れたCD125Tは、右横の原付を押し倒し、原付はそのまた右にあったうちのブラックバードへよりかかっていた。重いブラックバードがドミノ倒 しをなんとか止めていた。

 Dr.運送屋の額に怒マークが浮き上がった事はいうまでもない。バイクが右に倒れるなど、自然現象としてあり 得ようか。バイクの無惨な光景を目の当たり にした瞬間、いつも駐車場で激しい遊戯を展開しているお子様たちの顔が脳裏をかすめた。しかし、法治国家で成熟したオトナとして生活しているわたしたち は、推定無罪の原則を貫かねばならぬ。しかも子供は未成年だ。

 怒りの鉄拳をぶつける場所などあろうはずもない。Dr.運送屋はわなわなと震えながら、ひとつひとつバイクを起こしていった。ブラックバードに倒れかかっている原付を起こした瞬間、ブラックバードが本来の位置へもどろうと自らの車体を左へ傾け始めた。

 その瞬間わたしは無意識にブラックバードを支えようとした。これが間違いだった。次の瞬間、わたしは地面に転がっていた。そして、右の膝小僧に激痛を感じていた。かわいそうなわたしの膝小僧は、血まみれになっていた。

 左に傾き始めたブラックバードのサイドスタンドが地面に当たった衝撃で、中途半端に支えようとふんばったわたしは、はじき飛ばされてしまったのだ。

 責任の所在が曖昧であるのは、わたしが最も嫌う事だ。じわんじわんと痛む膝小僧をさすりながら、わたしは思う。いつか、駐車場のバイクが子供の玩具と化している現場を押さえ、みっちり説教してあげたい。

 

金曜日, 12月 09, 2005

2005年度冬季マストアイテム ハクキンカイロ

 先日の大嵐が過ぎ去った後、急に寒くなった。

 バイク乗りであるわが夫Dr.運送屋にとって、この季節は念入りな防寒対策が必要だ。CD125Tも、風防やヤママルトのハンドルカバーが装着され、冬仕様となっている。
 
 そんな彼は先日、「カイロが欲しい」と言った。やさしいベンリィマダムは次の日、買い物のついでに、10袋313円の桐灰の使い捨てカイロを購入し、帰宅した夫へ微笑みとともに献上した。ところが、わが夫は苦笑いを浮かべてこう宣ったのである。

 「わしが言うてたのは、ハクキンカイロや。」

 で、本日、そのハクキンカイロが我が家に到着した。昭和レトロなハクキンカイロは、使い捨てカイロとは比べものにならない程暖かく、快適だ。ひもをつけて首からぶら下げておくと、暖房をつけなくても、ぬくぬくと心地よいのである。これは大変便利である。

 フィールドラカンの防寒コートと言い、ハクキンカイロといい、この冬は防寒アイテムが充実している。これだけそろっているなら野営も怖いもの無し、と言いたいところだが、その予定は今のところ依然として白紙のままなのであった。

 

土曜日, 12月 03, 2005

シェラカップ

インドアでも大活躍item :シェラカップ

 「シェラカップ」は固有名詞である。が、今ではシェラカップと同じ形態の入れ物の総称となっている。直接火にかけても取っ手や飲み口が熱くならない。使わないときは、テントにひっかけたり、小さなカラビナでベルトに下げておけばOK。

 マダムが持っているのはS.R.Cオリジナルのステンレス製のもので、10年以上使っている。以前、30キロ近くの荷物を詰め込んだザックの底辺に入れっぱなしにした事があったが、変形しなかった。やはりここは一つ、ケチらないで丈夫なものを一つ持っておきたい。

 お茶やコーヒーはもちろん、おかずを入れたりご飯を炊いたりと、アイデア次第で使い道は広がる。学生時代の友人は、大きいシェラカップでインスタント・ラーメンを煮ていた。

 最後に、マダムのシェラカップは今では歯みがき用コップに成り下がってしまったことは、秘密にしておこう。

ヤママルト ハンドルカバー

【冷え性ライダーに捧ぐitem :ヤママルトのハンドルカバー】

 この季節になると、世の中にはヤママルトのハンドルカバー・ジプシーが急増するらしい。

 わたしは去年の秋、奈良の大和郡山にあった「ドライバーズ・スタンド」で買った。

 いまどきウェブサイトを持っていない、稀少な存在ヤママルト。
 そして今は無き大和郡山の「ドライバーズ・スタンド」。

 寒い季節の野営は冷え性には辛い。そんな時は、ヤママルトのハンドルカバーを取り外し、冷え切ったシュラフの中で痺れる足にかぶせてやる。神経質なライダーは、ファブリーズを持参の事。

金曜日, 12月 02, 2005

ブラックバー道5 三十郎の余裕

 ここのところ、我が家では黒澤明が流行っている。正確に言えば、『七人の侍』や『用心棒』に出てくる「素浪人」とか「野武士」とかいう言葉だけを、意味無く連発するのが流行っているのである。こんな言葉は普通の生活で絶対に使わないが、だからこそ面白い。「素浪人」といえば、『用心棒』や『椿三十郎』の三船敏郎扮する三十郎が印象深い。めちゃくちゃ強いにもかかわらず、普段は人を食ったような物言いばかり。三十郎はまさに「能ある鷹は爪を隠す」の体現だろう。

 ところでわたしは最近、大変な事に気がついた。わが夫Dr.運送屋から放たれていた「闘争心」という名のオーラが、めっきり感じられなくなったのである。「闘争心」についてはベンリィ家庭裁判所の判例にも書いたので、記憶されている諸兄もいらっしゃるだろう。

 夫から「闘争心」が無くなったのは、実は大型二輪免許取得と大いに関係しているのだ。

  CBR1100XXは、でかい。すげーでかい。わたしのCL50なんか、おもちゃに見えるくらいでかい。だから、渋滞をすり抜けて前へ進むなんて事は めったに出来ない。以前の夫は、時間に余裕がある時でさえ、まるで生き急ぐかの如く、すり抜けすり抜け、常に前を目指していた。ところが、最近はめったに すり抜けなくなったのだ。この件について夫は最近、「大型乗っていると、せこせこすり抜けするのがバカらしくなった」と、その胸の内を明かしたのだった。

  夫の心境の変化は、異なる状況下でも散見される。例えば、信号待ちで横に並んだスクーターの兄ちゃんが、半ヘルでくわえたばこ、不必要な空ぶかしを連発 する等の不快な行為をしたあげく、信号が青に変わる1秒前から猛烈な勢いでスタートダッシュして行ったとしよう。この場合、スクーターの兄ちゃんの行為 は、Dr.運送屋が生来的に持ち合わせる暴力的なまでの正義感を必要以上に刺激することとなる。ところが最近、このような事例を目の前にしても、夫はまる で相手にしなくなった。

 一言でいえば、大型二輪に乗っている、余裕なのだろう。
 爆音とともに飛び出していったスクーターの兄ちゃんなんか、CBR1100XXならば、アクセルを数ミリ開けたらすぐに追いついてしまうのだ。

 わたしはいつもバイクの後に乗せていただいているから、夫の表情を垣間見ることはできない。もしからしたら夫は、生き急ぐようにダッシュしていったスクーターに追いついたその瞬間、「もうすぐ四十郎だがな」と、含み笑いを浮かべているのかもしれない。