火曜日, 11月 15, 2005

ブラックバー道3 FULL METAL JACKETな日々

 その昔(と言っても10年ほど前までの話だが)、大型二輪免許取得が「限定解除」と呼ばれていた時代。「限定解除」は全てのライダーの憧れだったにもか かわらず、それを成し遂げるのは相当困難だったと耳にしている。試験官は絶対的な権力を持ち、ちょっとのミスでも合格させてくれない。「服装が悪い」と 言っ て試験を受けさせてもらえない事も日常茶飯事。20回30回受けても受からないのは当たり前。そんな話を聞くと、気の弱いベンリィマダムは、ついつい「こ のウジ虫ども!」「目玉えぐって、マ○コしてやる!」と、新兵を罵倒する『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹を 思い出し、「ああ、教習所で大型二輪免許が取れる時代に生まれてよかった」と思ってしまう。けれども、わが夫Dr.運送屋の門真通いにより、さすがにこの 時代、ハートマン軍曹みたいな試験官はいない、という事がわかって、ほっとした。というより、親切な試験官が大変多いようなのだ。夫は 時間 があるときは、早く試験場へ赴き、練習をしていた。その時、練習場にいる教官に色々とアドバイスをいただけたそうだ。当然細かい所までは指導し てくれないが、一言で弱点を言ってくれる教官もいたそうなんです。

 CD125Tは大変良いバイクだと思うが、今回ばかりはそれが欠点で もあった。夫の場合、「ニー・グリップ」がきちんと出来ていない為、ふらついたりす る事が多いようだった。夫はかつて、YAMAHAのXJR400というバイクにも乗っていたのだが、ここ数年はCD125Tばかり乗っていていたので、ガ ニマタが癖に なってしまったらしいそして、大型だから、125CCのバイクのようにアクセルをひねったら、えらい事になってしまう。この辺の違いも、最初は結構戸惑い の原因となったようだ。

  おもしろい事に、試験場には必ず「常連さん」がいるようで、何度も試験をしていると、「常連さん」同士がちょっと した知り合いになる。昼間から、多くが仕 事を休んで、必死で合格を目指す面々である。時には不合格の悲しみを分かち合い、時には互いに弱点を指摘し合い、次回合格を目指して励まし合う。夫と同時 期に門真へ通っていた面々には、職人風の若い男性(以降「職人」さんと呼ぶ)、サラリーマン風で夫と同世代の男性(以降「営業さん」と呼ぶ)などがいた。 職人さんは、夫よりも早く門真に通っていたのだが、もう何度も不合格が続いていた。夏の繁忙期を前にこれ以上仕事を休めないし、奥さんにもあきれられてい て、本当に大変そうに見えたそうだ。営業さんも、仕事の合間を縫って一所懸命頑張っていたが、なかなか完走する事ができずにいたそうだ。その他にも、 ちょっと強面の中年男性(この場合呼び名は「おっちゃん」さんとするのが妥当だろう)、小柄な若い女の子(「姫」とでも呼ぼうか)等、バラエ ティーに富む面々が試験に挑んでいた。妻としては、夫が他の受験者たちに何と呼ばれていたのか、興味がある所だ。

  そんな個性的な仲間に励まされていた夫は、門真通いを初めて5回目くらいに、かなりおしい所までいった。ただやはり、一本橋に対する苦手意識がそうさせる のか、規定の10秒粘るのが怪しかったり、不必要な確認やふらつきで減点が続き、なかなか合格できなかった。さらに、試験官によっては微妙に採点の方法や 重視するポイントが異なるらしい。法規走行をかたくなに重視する試験官もいれば、細かい所よりも大型二輪に「乗り切れている」所を重んじる試験官もいるよ うだ。

 試験も6、7回目ともなると、夫もだいぶ余裕してきたようである。試験に落ちて帰ってきても、深刻な顔つきをしていない。試験場から帰ってくる夫の表情は、回を追うごとに、晴れやかになっていく。

 そして、8月のある日。満面の笑みを浮かべて帰ってきた夫の姿を見て、わしは夫の合格を悟ったのだった。苦節8回目の挑戦だった。長いようで、意外と短い道のりだった。 

 最後に、夫が参考にしていた門真の免許取得情報はこちらです。

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