今この時間、スカパーで『マッドマックス』をやっている。Dr.運送屋はじーっと見入っているが、わたしは冒頭を見逃したし、もうそろそろお風呂の時間だし、『マッドマックス』シリーズは、何度も見たし、「まあいいや」といい加減な気持ちで、ちらちら画面を見ているのだけなのだが、それにしてもすさまじい。
バイクで人間を振り回したり、轢きまくったり、走行中の車にオノで襲いかかったり、めちゃめちゃである。オンライン翻訳マシンのWorldlingoでタイトル"Mad Max"を日本語訳してもらったところ、「気違いの最高」との回答を頂戴した。わたしにもし子供がいたら、このようなタイトルの映画は家で見ることを禁止するだろう。
『マッドマックス』は1979年の制作だが、同じ年には60年代イギリスのモッズvsロッカーズの対立を描いた『さらば青春の光』も公開されている。思うに、「バイク=不良」の図式はこの2つで決定づけられたのではなかろうか。
「盗難バイクインターネット捜査網」というサイトの中にある記事「成熟社会のバイク産業とバイク文化」に、興味深い統計を見つけた。これによれば、バイク新車出荷台数は80年代に最高を記録しているし、バイク保有数も80年代初頭から急増している。
80年代といえば、タケノコ族とか暴走族とかが社会現象/問題として現れた時期だ。この時期、彼等がバイクを所有しはじめ、(そしておそらく『マッドマックス』や『さらば青春の光』に触発され)「バイク=不良」の図式が定着したのかもしれない(かなり強引な論理だが)。
もっとも、80年代半ばには、誰もがバイクに乗りたいと思っただろう『トップガン』や、オフ車が大活躍する『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なんかが登場して、「バイク=不良」の一色ではなくなったと思われる。また、アメリカかぶれの片岡義男原作『彼のオートバイ 彼女の島』とかでは、バイクは色恋沙汰の名脇役となり、そのイメージもかなり変わったように感じる。
でも、「バイク=不良」のイメージは無くなったわけでないと思う。たとえば今年の夏に日本で上映された『ランド・オブ・ザ・デッド』でも、冒頭の略奪(?)シーンで活躍しているし、『セブンソード』だって馬をバイクに変えたら、『マッドマックス』の世界と全く同じだろう。
ベンリィマダムも、実は「バイク=不良」のイメージをなかなか払拭する事ができない。でも、『親愛なる日記』で、くたびれたいい感じのモレッティが、ベスパに乗ってぶらりと街を走ってまわる所なんかを見ると、なんともほのぼのした気持ちになるのである。
やっぱり、ぎらぎらしたりちゃらちゃらしたりするよりも、のほほんとまったり乗るのがいいなぁ、と、改めて思ったのだった。
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